30代になって鑑賞する「魔女の宅急便」

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魔女の宅急便とは

魔女の宅急便(英題:Kiki’s Delivery Service)は、平成元年(1989年)7月29日に公開されたスタジオジブリ制作のアニメーション映画。略称は「魔女宅」。

スタジオジブリの長 宮崎駿監督の長編映画の中では初めて、宮崎監督以外が原作を手がけている作品でもある。

原作は、角野栄子先生が手がけている児童書です。

あらすじ

下記に「魔女の宅急便」のあらすじをまとめる。

  1. 主人公のキキ(13歳)は、生まれた家(魔女)の慣例に従い、黒猫のジジと家を出る
  2. 辿り着いた海沿いの街「コリコ」にて、宅配業を営む
  3. キキ唯一の特技「ホウキで空を飛ぶ」、「ジジの言葉がわかる」という能力が著しく低下
  4. 落ち込んでいるところ、友人や顧客の力を借りて再起を目指す
  5. 友人が危険に晒されたことを機に魔法を取り戻し、救助成功

冒頭から泣けた

何本か所有するDVDの中から「魔女宅」を見つけ、移動中 鑑賞することにした。これが間違いだった。

「魔女として生きるため、13歳の満月の夜に旅立ち、1年間修行を積まなければいけない」というしきたりに従い、当日の旅立ちを決意したキキに対し、表面上は反対する周囲だが、結局、みんな見守ってくれるじゃん…。

1人の子に対し、これほど周囲が見守ってくれていたのかと、筆者、冒頭から涙ぐむ。

恐らく1人娘であろうキキに「いつでも帰ってきて良い」という父。「飛ぶことしか覚えなかった」と心配する母。いずれも親心であり、夫婦らしい絶妙なバランスだよなぁ。

いっぽう、キキの門出に立ち会う同世代の友人達との無責任で、青いやり取り。湿っぽいやり取りがないところが逆にリアルで、清々しい。

結果、再生から10分足らずでハンカチが湿ってしまったのである。

魔法ではなく特技

コリコに到着後、職務質問を受け、ホテルのフロントで身分証の提示を求められ、途方に暮れるキキ。

グーチョキパン店の2階に居候することになった翌朝、旦那さんと鉢合わせないよう、手洗いで一呼吸置くあたりが妙にリアルで引き込まれてしまう。

本作において、魔法はファンタジーではなく「特技」「才能」の位置づけで、思春期ならでは心理描写等が顕著に描かれ、自分と重なる部分がある。

できることができなくなる

作中、ジジの言葉がわからなくなり、ホウキで飛ぶことができなくなる場面がある。

これを「魔法の力が弱まった」と表現し、消失するわけではないことに安堵する反面、前例がなく、今後の見通しがつかないこともわかる。

似たようなことは人生で何度も起きるし、経験してきた。こうして何度も経験してきたことから、初期の焦燥、不安感は薄れていることを再認識する場面でもある。

最も泣けたのは

数年ぶりに鑑賞した本作において、今の筆者が最も泣けたのはクライマックス(以前は、スランプ時にキキが受けた老婦人の心遣いだった)

突風に煽られ、暴走する飛行船から伸びるロープの先にしがみつくトンボを追うカメラにキキが写った際、それまでキキが接してきた人々が画面越しに声援を送る様子に、ぽろぽろと涙が零れた。

自分に余裕がないとき、視野は狭まる。批判的な声が聞こえるうちはまだマシだ。

本物の孤独は、多数の人の中で感じるものであり、誰からも見向きもされなくなったときに訪れるものである。

当該シーンにおいて、彼女自身に直接声援が届くことはないだろうが、困難に立ち向かうキキへの声援こそが、彼女がやってきたことの答えだろう。

他人との絆、優しさ、支え合う姿勢が、加齢と共にしみるようになって来た。

これは恐らく、筆者自身が助けられ、助けてもらったことと無意識に重ねているのだろう。

ありがとうございます…ありがとうございます…