神奈川県小田原市「松原神社(まつばらじんじゃ)」参拝レポ【御朱印】

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筆者プロフィール

松原神社

松原神社の創建時期は不明ですが、かつては鶴の森明神、松原大明神等と呼ばれていました。

北条氏、稲葉氏、大久保氏等から崇敬され、小田原宿の総鎮守とされました。

明治2年(1869年)に松原神社と改称し、今に至ります。

松原神社 御祭神
  • 日本武命(やまとたけるのみこと)
  • 素戔嗚命(すさのおのみこと)
  • 宇迦之魂命(うかのみたまのみこと)

松原神社の境内社…住吉神社、鹿島神社、手置神社

松原神社 祭礼
  • 1月1日 元旦祭
  • 1月14日 小祭
  • 2月3日 節分祭
  • 2月不定期 祈年祭
  • 5月3日 例大祭
  • 5月4日 例大祭(神幸祭)
  • 5月5日 例大祭(神幸祭)
  • 9月14日 小祭
  • 11月不定期 新嘗祭

5月に小田原北条五代祭りが行われるため、これに併せ、松原神社でも例大祭を行います。

このとき、近隣の大稲荷神社、山王神社、居神神社と統合開催されるため、各社の例祭と認識しないまま参加する観光客も多いようです。

松原神社 御朱印

松原神社の御朱印は、社務所にて授かることが出来ます。

書置きにて、初穂料は300円でした。

松原神社までのアクセス

次の通りです。

基本情報

住所:〒250-0012 神奈川県小田原市本町2丁目10-16
電話;0465-22-2672

最寄り駅

JR小田原駅から徒歩約15分

松原神社 スナップ

ここからは、筆者参拝時の様子をお伝えします。

入口から圧巻の景色

大稲荷神社を訪れた際、初めて鬼門除け神社の存在を知った筆者。

小田原城の鬼門除けとして君臨する三社のうちの一社がこの松原神社です。

神社の外には古い街並みが広がっており、かなり生活感がにじみ出ているのに、ここだけ明らかに異質な空気が漂っています。

入口を過ぎるとすぐ、橋が架かっています。名前は不明ですが、この下を池の水が走っています。

右手には趣のある池があり、どことなく亀の甲羅を連想するような佇まいです。

吉兆の大亀を彷彿とさせる岩

一之鳥居、二之鳥居に境内の松が陰を落とし、とてつもなく幻想的な絵面になっています。

社号碑

何だかこのまま吸い込まれそうですよね。

手水舎

左手に社務所を眺めつつ、まずは参拝です。

真っ直ぐ進むと右手に手水舎があります。

手水舎

参拝時、強風が吹き荒れていましたが、どっしり構えた手水桶に何となく安堵感を覚えました。

手水桶

無事に手を清めたところで、二之鳥居です。

4体の狛犬

松原神社には、4体の狛犬がいました。

拝殿前 狛犬(右)
拝殿前 狛犬(左)
一之鳥居~二之鳥居 右の狛犬
一之鳥居~二之鳥居 左の狛犬

それぞれ表情が異なっており、じっと眺めていると愛着が湧いてきます。

大漁記念の万祝

拝殿の脇には、「万祝」という晴れ着があります。

万祝(まいわい)

万祝は、漁師が大漁祈願に参拝する際に着用していた晴れ着で、「大漁」「小田原」の文字が眩しいですね。

境内社

松原神社の境内社は、住吉神社、鹿島神社、手置神社、稲荷神社、八幡神社とされていますが、神奈川県神社庁には、前三社の記載しかありません。(神社庁 松原神社ページ

いったい何を信じれば…

境内のお社ひとつずつにお詣りしたのですが、朱色の鳥居が稲荷神社なのだろう…ということしかわかりませんでした。

境内社
境内社 恐らく稲荷神社
境内社
境内社
神輿?

松原神社 拝殿

松原神社 拝殿です。

松原神社 拝殿

おずおずと参拝に向かいます。

拝殿

鬼門除け、小田原の総鎮守であることを抜きにしても、松原神社の空気はちょっと異質でした。

それは、こわい意味ではなくて、自然と少しだけ背筋がのびるような感覚です。

神額

拝殿建物に対して、神額は真新しく見えましたが、詳細は不明です。

拝殿の裏手も歩けるようだったので、御朱印をいただいた後は、裏手からおいとましました。

梅の木

神奈川県小田原市「松原神社」まとめ

当ページでは、神奈川県小田原市の総鎮守「松原神社」をご紹介しました。

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難攻不落の「小田原城(おだわらじょう)」レポ【御城印】

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小田原城は、1500年頃に小田原北条氏の居城となり、関東支配の中心拠点として拡張整備され、最終的には日本最大の中世城郭となりました。

当ページでは、小田原城の見所、御城印、小田原城へのアクセスをご紹介します。

筆者プロフィール

榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
やぎ座のO型。
榊原行政書士事務所 代表を務めるかたわら、日常の疑問・悩みに効く情報を発信しています。趣味は、写真を撮ること、神社巡り。

小田原城(おだわらじょう)

小田原城は、室町時代に大森氏が築いた城郭を前身とし、1500年頃から100年にわたり、北条家5代で規模を拡大したお城です。

しかし、天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原攻めにより、石垣山(一夜城)をはじめ、北条市は滅亡し、戦国時代も終焉を迎えました。

このとき、徳川家康に従い大久保氏が城主となり、城の一部を破却して規模を縮小。近世城郭の姿へと改修されました。

その後、明治3年(1870年)から明治5年(1872年)までの間に、場内の多くの建物は解体され、大正12年(1923年)の関東大震災により、江戸時代の姿は失われてしまいました。

現在の小田原城天守閣は、昭和35年(1960年)に復興されたもので、昭和46年に常盤木門、平成9年に銅門、平成21年に馬出門が完成しました。

御城印

小田原城の御城印は、本丸売店(チケット販売所)にて購入できます。通常版は300円、切り絵は1,000円でした。

気を付けたいのが、登城チケットはクレジットカード、交通系IC等に対応しているものの、御城印は現金のみ対応。

以前、登城時に現金の持ち合わせがなく、今回は御城印のみ求めて来ました。

左が切り絵、右が通常
朱に金が映える
ラメ感がゴージャス

小田原城までのアクセス

次の通りです。

基本情報

住所:〒250-0014 神奈川県小田原市城内
電話:0465-22-3818

最寄り駅

JR小田原駅東口より徒歩約10分です。

小田原駅構内 東海道線改札上にある小田原提灯
小田急線
東海道線のホームから小田原城

車の場合

小田原厚木道路 荻窪ICから約10分
西湘バイパス 小田原ICより約5分
東名高速道路 大井松田ICより約40分

小田原城址公園に一般駐車場はないため、周辺の有料駐車場をご利用ください。

登城ルート

小田原城址公園には、4つの入り口があります。

  1. 正面入口(馬出門)
  2. 学橋・二の丸
  3. 南入口(御茶壷橋)
  4. 北入口

引用:交通アクセス|小田原城【公式】

小田原城 お散歩レポ

ここからは、小田原城周辺のお散歩レポです。

※今回は登城しなかったので、次回をお楽しみに…。

報徳二宮神社 境内を抜けてのスタート

今回は、報徳二宮神社への参拝を終えてからの散策なので、南入口からのご紹介です。

弁財天通り沿いの石碑

報徳二宮神社参拝記事は、下記をご覧ください。

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報徳二宮神社 小田原城側の鳥居

南入口

南入口の脇には、御感の藤という藤棚があります。この藤棚は小田原市の天然記念物に指定されています。

例年4-5月には爽やかな藤色のカーテンが見られますが、今(2023年12月現在)は足下のスズランが見頃でした。

入り口には、このような看板もあります。

御茶壷橋を渡ると、左手に蓮池がありますが、こちらも今は淋しい時期。

蓮の見頃は、7-8月頃です。

御茶壷橋を渡ると、左手に郷土文化館があります。

早川石丁群の切石

郷土文化館の前に、大きな石が2つあります。

この石は、江戸城修築に使用する石垣用の石をつくる「石丁場」のものだと考えられていて、特に歴史的価値の高いものを移設保存したもの。

切石の角を見ると、割り取るときに刻まれる「矢穴」が見られ、正面に「寸」の刻印があるので、小田原城にお越しの際は観察してみてくださいね。

この切石の向かいに、小田原市郷土文化館があります。

小田原市郷土文化館

入館料は無料で、年末年始(12月28日-1月3日)を除き、9時-17時まで開館しています。

文化館前の子馬

銅門枡形内仕切門-銅門(あかがねもん)

銅門(あかがねもん)は、江戸時代、二の丸正門として機能していた門です。

枡形という形式の門で、櫓門(やぐらもん)と内仕切門の2つの門と、両者をつなぐ石垣と土塀で構成されます。

内仕切門

門外に架かる橋は住吉橋

扉の飾り金具に銅を使用していたことから、銅門と名付けられたといわれています。

内仕切門側からの銅門

アップ

現在の銅門は、発掘調査の成果、絵図、古写真等を参考に、平成9年(1997年)に復元したものです。

小田原城を背に見た鋼門

具体的には、平成5-7年(1993-1995)に枡形・石垣復元工事、平成8-9年(1996-1997年)に渡櫓門・土塀の順に行われました。

石垣の復元には、関東大震災で住吉塀に崩落した石材を、門石に真鶴産の小松石(安山岩)平石、蔵王山系山岩を使用。

復元にあたり、宮大工の芹澤伸明氏が棟梁を務め、市内の大工職人、近隣の左官職人らが持てるワザを結集し、造り上げたものです。

復元に使用した木材のうち、鏡柱など14本の檜材はラオスから輸入し、天上の大梁2本は国産の黒松。これらの檜、松は、樹齢200年を超える大径木を使用しています。

銅門(あかがねもん)土塀模型と礎石

小田原城址公園内にて、銅門の土塀模型を見ることができます。

この模型は、使用する木材や白壁の材料になる土の収縮・乾き具合などを確かめるために制作されたものです。

土塀の材料は、地元でとれたものを使うことが多く、そのほうが現地の風土・気候に適うため合理的と考えられています。

材料の混合比は、職人の勘に頼るところが大きいうえ、この混合比率を見誤ると、後にひび割れ等の原因にも…。

かなりデリケートな作業だけに、慎重に進められたことがわかります。

土塀が乾くのを待ったら、中塗り、本塗りの順で仕上げますが、銅門には砂漆喰を使用しているんですね。

これらの作業は時間との闘いとなるため、左官職人が総出で行うのが一般的。

私が呑気に眺めている銅門に、いったい何人の職人のワザが光っているのか、考えるだけでも背筋がのびます。

それから、銅門礎石。

この2つの石は、もともとの銅門で使用していたと考えられている石です。

銅門の礎となる石は、ほぼ土中に埋められ、側面を斜めに加工し、櫓代の石垣に合わせて設置することになります。このうえで、穴に柱材を固定し、礎石となります。

手前が1.6t、奥は1.8tもの重さがあるそうです。

小田原城歴史見聞館/NINJA館

土塀のそばに、小田原歴史見聞館(NINJA館)があります。

メインとなるコンテンツは、戦国時代に北条氏を陰で支えた風魔忍者。

映像・展示を通じ、北条五代の歴史と風魔忍者について学んでほしいという思いから造られた施設でもあります。

開館時間は、9時-17時。入館料は大人310円、小中学生100円。

休館日は12月31日、1月1日のみというタフな営業をなさっています…!

ちなみに、歴史見聞館のある場所は、小田原城二の丸跡でもあります。

通常、藩主の住まいは本丸にありますが、小田原城の本丸には、徳川将軍家のための御殿があり、小田原藩主の住まいは二の丸に置かれました。

藩主の住まいとしてだけでなく、「二の丸御屋形」とも呼ばれ、藩内の政治を司る政庁としての役割もあったようです。

いぬまき

本丸に向かって歩くと、立派な木があります。小田原城跡のイヌマキです。

小田原市指定天然記念物にも指定され、枝振りを支えるため、支柱も設けられています。

頬杖をついているようで愛らしいですね。

イヌマキは、関東南部以西の海岸地帯にある森林に多く自生している木で、小田原市内では身近な存在です。

このイヌマキは幹周り4.5m、小田原市内最大のイヌマキでもあります。

隣の木は、美紀の一部がぱっくりと割れてしまっているところを見ると、このイヌマキがどれほどの荒天を乗り越えてきたのかがわかりますよね。

常盤木門

朱い桟橋を通ります。

平成29年(2018年)3月の様子

春から夏に登城される方は、こちら側からの登城がオススメです。

というのも、この桟橋の下には花菖蒲、本丸側の斜面にはたくさんの紫陽花が植えられていて、夜にはライトアップも!

桟橋を渡るとすぐに石段があり、常盤木門です。

本丸には、常盤木門と鉄門の2つの門を設けて、徳川将軍家 御殿を護っていました。

「常盤木門」という名前は、戦国時代から本丸にあった7本松に由来しています。

現在、7本松は1本しか残っていませんが、「巨松」と名付けられ、今でも多くの観光客に愛されています。

常盤木門は、本丸の正門にあたり、重要な防御地点なので、他の門と比較しても大きく、堅固な造りなのがわかります。

常盤木門外側から

多聞櫓(たもんやぐら)と渡櫓門(わたりやぐら)があり、多門櫓は武器の貯蔵庫としても機能していました。

ちなみに、門についているこちらの金具▽

「乳鋲(ちびょう)」という装飾品で、閂鎹(門の釘)の先端が表に出るのを隠すために着けられるものです。

目を惹きますよね、この形状。

筆者はこのパーツを見つける度に、撮影している気がします。

門の内側から
本丸側から

小田原城 本丸

常盤木門をくぐるとすぐに本丸です。

小田原城の本丸は、東西83間(約150m)、南北63間(約114m)の規模で、西端に天守台、中央に本丸御殿がありました。

他のお城の場合、本丸御殿は藩主居館として用いますが、小田原城では徳川将軍家の宿所としての役割を持ち、寛永10年(1632年)の寛永小田原大地震にて倒壊後、三代将軍徳川家光の宿所として再建されました。

現在の小田原城天守閣は、昭和35年に市制20周年記念事業として、総工費8000万円をかけて復興したもの。復興にあたり、「瓦1枚運動」が展開され、多くの市民から寄附が寄せられました。

小田原城は、3重4階の天守櫓に「付櫓」「渡櫓」をつけた複合式天守閣で、地上38.7m、鉄筋コンクリート造、延床面積1822m2。

最上階に見える高欄付き廻縁は、復興時、新たにつけられたものです。

小田原城に登城するには、こちらから上がります▽

平成29年(2018年)3月の様子

入館料は、一般510円、小中学生200円。30名以上団体は一般410円、小中学生160円です。

関連リンク
オンラインチケット購入ページ|アソビュー
チケット料金案内|小田原城公式サイト

大手門跡

小田原城址公園の敷地から少し離れたところに、大手門跡があります。大手門跡といっても、実際に設置されているのは鐘楼。

目の前が小田原家庭裁判所という面白い場所にあります。

この場所は、城下より一段高くなっていて、この門の西側が小田原城三の丸。藩の重臣のお屋敷が建ち並んでいました。

大手門は、寛永10年(1632年)の改修工事により、三代将軍徳川家光の上洛を控え、石垣が造られました。

寛永20年(1642年)には、幕府の許可を得て、正保年間(1644-1648年)に渡櫓門が建設され、延宝年間(1673-1681年)には、前面に冠木門が普請され、渡櫓・冠木からなる大手門の規模は、鋼門とほぼ同一でした。

大手門櫓台 石垣上に鐘楼が設けられたのは、大正時代に入ってから。

小田原城址公園からこちらまでの全てが、小田原城の一部だったと考えると、当時の将軍の勢力がどれほど大きかったかがわかりますよね。

お土産

お土産は、小田原城内に売店があるほか、城下の本丸売店・本丸茶屋でもお買い求めいただけます。

売れ筋は、虎朱印最中城下町もなか、笹かま、手作りせんべい、ほととぎす。

城・武将クリアファイル武将扇子立ちコマなどが人気です。

筆者も武将扇子を持っていますが、他とあまりかぶらないし、渋くてかっこいいですよ~!

ちなみに、お土産物にも使用される大納言小豆でつくる絶品あんこは、小田原市のふるさと納税返礼品にもなっています。

現在は封鎖された星﨑記念館【写真】

郷土資料館の奥に、古い建物があります。

この建物は星﨑記念館といい、令和2年3月31日をもって60年の歴史に幕を下ろしました。

中には図書館もありましたが、現在は小田原駅東口図書館に引き継がれています。

そんな星﨑記念館の内部をおさめた写真があったので、下記に掲載します。

ちょうど桜の時期で、大きな窓から見る桜が素晴らしかったです。

難攻不落の「小田原城」レポ【御城印】まとめ

当ページでは、難攻不落の「小田原城」をご紹介しました。

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神奈川県小田原市「宗我神社(そがじんじゃ)」参拝レポ

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神奈川県小田原市曾我あたりを通るとき、坂道の入り口に白い鳥居を見つけました。

きっと神社があるんだろうと思いながら過ごし、3年近く経った今、ようやく参拝できました。

当ページでは、神奈川県小田原市「宗我神社(そがじんじゃ)」をご紹介します。

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筆者プロフィール

榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
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榊原行政書士事務所 代表を務めるかたわら、日常の疑問・悩みに効く情報を発信しています。趣味は、写真を撮ること、神社巡り。

宗我神社(そがじんじゃ)

宗我神社は、曽我祐信が再興したとされる曽我郷六ヶ村(上曽我、曽我大沢、曽我谷津、曽我岸、曽我原、曽我別所)の総鎮守で、江戸時代には小沢明神と呼ばれていました。

長元元年(1028年)宗我神社播磨守保慶の建立で、曽我氏の祖先を祀ったのがはじまりだといわれています。

明治に入ると、六ヶ村それぞれの鎮守をこの神社にあつめ、新たに宗我神社となりました。

現在の社殿は、大正12年(1923年)関東大震災後に復興したものです。

宗我神社 御祭神
  • 宗我都比古之命(そがつひこのみこと)
  • 宗我都比女之命(そがつひめのみこと)
  • 応神天皇(おうじんてんのう)
  • 桓武天皇(かんむてんのう)
  • 小沢大明神(おざわだいみょうじん)

宗我神社 例祭k
1月1日歳旦祭さいたんさい 新年拝賀祭しんねんはいがさい
2月11日梅祭り流鏑馬神事るぶさめしんじ
4月17日春季例祭 春祭り
9月最終日曜日例大祭 本祭り
11月23日新嘗祭にいなめさい 勤労感謝の祭り
12月31日除夜祭 大晦日の式/大祓い神事

宗我神社までのアクセス

次の通りです。

基本情報

住所:〒250-0204 神奈川県小田原市曽我谷津386

最寄り駅

御殿場線 下曽我駅より徒歩約10分

宗我神社 参拝レポ

ここからは、参拝時の様子をお伝えします。

気になっていた鳥居

前を通りかかる度に気になっていた青銅の鳥居。

実際に参拝し、こちらが一之鳥居だったことがわかります。

鳥居の脇には「曾我兄弟遺跡城前」「鳥居建設碑」2つの碑が立っています。

曽我兄弟は、日本三大敵討ちで有名な「曽我物語」に登城する兄弟のことだと思われます。

この鳥居のずっと奥に、二之鳥居がちらり。

坂道をのぼっていきます。

二之鳥居

えっさほいさと参道を上ると、二之鳥居です。

宗我神社の鳥居 額束には、社号がありません。

もしかして、と思い、裏側からも確認しましたが無地。

鳥居脇の石塀には「曽我」

「曽我谷津」の文字しかないため、参拝時に「曽我神社」と勘違いしてしまった筆者。

ただ、拝殿右手の狛犬そばに木製の社号碑があります。

奥手な神様(または宮司さん)なのかもしれませんね。

手水舎と神輿殿?

鳥居をくぐってすぐ左手に、石碑が建っていました。

どの石垣のことか定かではありませんが、しっかりとした彫刻にしばし見とれてしまいました。

右手には、大きな蔵のような建物があります。

神輿か、倉庫かなぁと思いつつ、ご神木を見上げました。

宗我神社のご神木

こちらが宗我神社のご神木です。

隣が存在感を放ちすぎていて、うっかり銀杏をご神木と勘違いしそうになった筆者ですが、注連縄がついているのがご神木だと思われます。

ご神木に関わる記述等が一切なかったので、詳細はわかりかねますが、長い時間をこちらで過ごしているのだろうと想像できます。

手水舎

境内を奥へ進むと、右手に手水舎があります。

絶えず水が流れ続けるタイプで、桶にはどんぐりも。

もしかすると、湧き水なのかもしれません。

手水舎の後ろには、いけすのような施設もありました。

覗く勇気がなかったので、ちらりと見ただけですが、水が豊かな神社なのだなぁという印象を受けます。

拝殿の神器

手を清め、ようやく参拝です。

拝殿の前に、狛犬がいました。

白くて利発そうな表情をしています。

参拝時、拝殿の中央、左右に1つずつ「鏡」が設置されていることに気がつきました。

本殿の中に御霊(ご神体)として鏡を祀る神社があるのは知っていますが、こんな風に外に置かれているのは初めてで、若干動揺しました。

宗我神社には、神職の方が常駐されておらず、誰に尋ねることもできなかったのが残念です。

ただ、日本には「<ruby>八百万の神<rt>やおよろずのかみ</rt></ruby>」といって、すべてのものに神が宿るとする風潮も見られます。
「すべてのもの」というからには、私達自身にも神が宿っているとも解釈ができるので、自らの中に宿る神を見つめるようにとの教えなのかもしれません

尾崎一雄氏ゆかりの地

昭和12年(1937年)に第5回芥川賞を受賞した尾崎一雄氏は、宗我神社の神主の家に生まれました。

彼の作品は、生まれ育った下曽我を中心とするものが多く、昭和の代表的私小説家として独自の境地を開いたとされます。

このため、宗我神社の大鳥居(一之鳥居)付近には、尾崎一雄文学碑が設置され、「虫のいろいろ」の一説が刻まれているそうです。

今回の参拝では見逃したので、また次回…!

神奈川県小田原市「宗我神社(そがじんじゃ)」まとめ

当ページでは、神奈川県小田原市曽我谷津にある「宗我神社(そがじんじゃ)」をご紹介しました。

神奈川県小田原市「大稲荷神社(だいいなりじんじゃ)」参拝レポ【御朱印】

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神奈川県小田原市にある大稲荷神社(だいいなりじんじゃ)。

小田原の鬼門除け神社として護られる神社で、松原神社、居神神社とともに「小田原三大明神」の一社を担っています。

当ページでは、大稲荷神社の見所、御朱印、大稲荷神社までのアクセスをご紹介します。

筆者プロフィール

榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
やぎ座のO型。
榊原行政書士事務所 代表を務めるかたわら、日常の疑問・悩みに効く情報を発信しています。趣味は、写真を撮ること、神社巡り。

大稲荷神社(だいいなりじんじゃ)

大稲荷神社の御祭神は、田中大神(たなかのおおかみ)、宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)の二柱で、いずれも、五穀豊穣、方位除け、商売繁盛の神様です。

天正18年(1590年)創建の当社は、修験者が建てた修験堂に、元武田家の家臣だった曲淵氏が稲荷大明神をお祀りしたのがはじまりだといわれています。その後、京都の伏見稲荷大社より田中大臣を合祀するに至りました。

荒廃した時期もあったそうですが、江戸時代中期、小田原城の鬼門除け稲荷として再興。現在の場所に社殿が造られました。

大稲荷神社 御朱印

社務所で直書きにて授かることができます。初穂料は、1体600円以上 お気持ちです。

受付時間は決まっていないようなので、お守りや御朱印を授かりたい方は、事前にご連絡くださいとのこと。

4社すべて拝受しました
錦織神社(にしこりじんじゃ)御朱印
愛宕神社(あたごじんじゃ) 御朱印
大稲荷神社 御朱印
田中稲荷社 御朱印

寺院の御朱印(御首題)が書かれている場合、同じ御朱印帳にはいただけませんので、別の御朱印帳を用意しましょう。

こちらを参拝する数分前に1冊目の御朱印帳(寺院の御朱印が1つあった)がいっぱいになり、1ページ目が大稲荷神社だったので問題なくいただけました。
こういうのもご縁という気がしますね。

大稲荷神社までのアクセス

次の通りです。

基本情報

住所:〒250-0045 神奈川県小田原市城山1丁目22-1
電話:0465-34-7630

最寄り駅

JR小田原駅 西口より徒歩約10分

大稲荷神社の見所

ここからは、私の参拝レポをお送りします。

原則 撮影NG

はじめに注意したいのが、大稲荷神社は原則「境内撮影NG」です。

ただし、撮影目的を伝えた上で、宮司さんに許可をいただくことは可能です。

当ページに掲載する写真はすべて、事前に許可をいただいたものなので、ご自身で撮影・掲載したい場合は必ずご確認ください。

路地裏にだいなりさん

公私ともに、小田原には何度か通っていますが、西口に降りたことはあまりなく、Googleマップの言うとおりに進みました。

すると、路地裏にふっと社号碑が。

こちらを進むと、鳥居が見えて来ます。

道幅にゆとりがないため、どうしてもどアップになってしまいますが、一之鳥居です。

奥に見える参道、石段に胸が高鳴ります。

おきつねさん達がお出迎え

一礼し、鳥居をくぐると異世界です。

この階段の先に、どんな社殿があるんだろうとドキドキする瞬間でもあります。

石段の途中、狛犬がいました。

右側の狛犬は子をあやし、左側の狛犬は鞠を携えています。

右の狛犬
左の狛犬

が、脇には小さなおいなりさんと、ハンドベルらしきものが。

朱色の前掛けが愛くるしい!

更に昇ると、途中にもきつねさんが鎮座していました。

一体一体の表情が異なっているのが愛くるしいですよね。

愛宕神社(あたごじんじゃ)

石段を登ると、最初に見えるのが愛宕神社です。写真右側にのびる銀杏の紅葉が美しい。

近づいての撮影は好ましくないということで、愛宕神社の写真はこれ1枚ですが、素敵な境内だったので、参拝される方は楽しんでくださいね。

愛宕神社境内から、直接大稲荷神社へ進むこともできますし、手前の石段をのぼれば、二之鳥居をくぐることもできます。

大稲荷神社 二之鳥居・三之鳥居

愛宕神社手前の石段を進むと、大稲荷神社 二之鳥居です。

すると、ここで声をかけられました。

ちょこちょこっと近づいてきて、ゴロゴロのどを鳴らしてくれました。とても人なつっこい子ですが、参拝に戻ります。

二之鳥居をくぐるとすぐ、三之鳥居です。

奥に見えるのが大稲荷神社 御社殿です。

今回の撮影はここまでですが、大小さまざまな祠や、おきつねさん、中にはたぬきさんまで並んでいて、とても賑やかでした。

宮司さんがお世話されている沢山の盆栽鉢も、ところどころ雑草を携えながら、元気に育っていました。

授与所前にかかる屋根の一部を、大きな銀杏の木が突き破る形でのびているんですが、ちょうど収穫期。

お土産にたくさん、ご神木の銀杏の実をいただきました。

「アクが強いから、1日20粒くらいにしておくんだよ」との注意も添えて。

この夜、早速いただきましたが、ほくほくふっくらでとても美味しかったです。

神奈川県小田原市「大稲荷神社」まとめ

今回は、神奈川県小田原市にある小田原城の鬼門除け稲荷「大稲荷神社」をご紹介しました。

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