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先日、実家を訪れた。当ページでは、この際の様子を写真でお送りする。
完成した福山城
この場所へ足を運ぶのは約6年ぶりのことだが、最寄りの新幹線駅を通過したことは何度かあった。
以前、車窓から見た際には幕がかかっていた城も、工事は終了したようだ。
福山城とは
福山城は、広島県福山市丸の内1丁目にあった日本の城で、城跡地は「久松城(ひさまつじょう)」「葦陽城(いようじょう)」と呼ばれる。
平成14年(2006年)2月には、日本100名城にも選定され、天守閣部分に景観重要構造物の指定を受けている。
福山城の城主は水野勝成公で、江戸時代最後の名城としてたたえられることもある。
勝成公後の城主は、水野、松平、阿部へと続き、1873年の廃城令に伴い、廃城となった。
水野家 水野勝成 | 1619年(元和5年)~1639年(寛永16年) 1564年(永禄7年)~1651年(慶安4年) |
松平家 松平忠雅 | 1700年(元禄13年)~1710年(宝永7年) 1683年(天和3年)~1746年(延亨3年) |
阿部家 阿部正邦 | 1710年(宝永7年)~1715年(正徳5年) 1658年(万治元年)~1715年(正徳5年) |
福山城 基本情報
住所 | 〒720-0061 広島県福山市丸之内1丁目8 |
電話番号 | 084-922-2117 |
FAX | 084-922-2126 |
開館時間 | 9:00-17:00 月曜日休館(祝日の場合は翌日) |
今回は福山城に足を運ぶ余裕がなく、近くから見上げるにとどまった。
実家の様子
ここからは筆者の実家の様子を写真でお送りする。
勉強机
筆者に自室と呼べるものはなかったが、勉強机はあった。
祖父の友人の孫が使用していた「おさがり」を譲り受けたもので、未使用時はパタンと閉めて収容できるものだった。
写真左上の星形の蛍光シールは筆者が貼ったもの。蓄光タイプなので、夜間の消灯後、一定時間ぼんやりと光ったりする。
一部へこんでいる部分は記憶にないが、いまだここにあるとは思いがけず、ほんのりとうれしくなた。
遺伝した多肉好きと色々な植物
上京後、神奈川県藤沢市にある紅波園(こうはえん)のオーナーから、「多肉好きは遺伝」と教わった。
両親は植物に無関心だったため、もし遺伝したのなら祖母からだろう。
祖母自身は、加齢と負傷によりあまり手入れができていないことを嘆いたが、久しぶりに見た庭や畑、鉢植えで元気に過ごす植物も多い。
アロエらしき蜂には、新芽が出ていた。
明け方まで降った雨を携えた花たち。
記憶の中で咲いていた祖母のツツジはピンクだったので、別の個体か、筆者の記憶違いだろう。
アロエが花芽をつけていた。
冬場は縁側に取り込むのだろう。鉢植えに行儀よく植わっている。
庭の草花をキッチンに活ける週間は、筆者の幼少から続くものだ。
玄関先にも活けられていた。
増えた家族
今回、初めて会った子がいた。
親族の1人が飼い始めたが、面倒を見られなくなり、祖母に預けて行ったと説明を受けた。
本説明に「へぇ」と声を発したのみだが、学生時代に猫を拾ってきた筆者に「うちで犬猫は飼わない」と断固として譲らなかったことを、相手は覚えていたからだろうかと思った。
日ごろ、祖母たちの寵愛を一身に受けているのだろう。
呼ぶ前から筆者の膝に乗り、腕を枕に寝そべったうえ、撫でるとすぐに眠りについた。ただ、カメラは嫌いらしい。
実家に行ってきた【写真】まとめ
当ページでは、筆者の実家来訪の様子をお伝えしました。