神奈川県南足柄市「大雄山最乗寺(だいゆうざんさいじょうじ)」参拝レポ【御朱印】

当サイトの一部に広告を含みます。

当ページでは、神奈川県南足柄市にある「大雄山最乗寺道了尊」の、三門から奥ノ院までご紹介します。

筆者プロフィール

榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
榊原行政書士事務所 代表行政書士
やぎ座のO型。趣味は写真を撮ること、神社をめぐること。

大雄山最乗寺(だいゆうざんさいじょうじ)

最乗寺は、応永元年(1394年)に建てられた曹洞宗のお寺で、山号は大雄山です。

地元では「道了さん」と親しまれ、余語翠巖、新井石禅、石附周行等が住職を歴任しました。

修行道場として僧堂を設置しているお寺でもあります。

大雄山最乗寺 基本情報
  • 門の数…6門
  • 天 狗…6体
  • 大黒天…2体
  • 面 積…128ヘクタール(東京ドーム27個分)
  • 杉の木…17万本
  • 石段数…708段
  • 石塔数…621基

最乗寺の御朱印

最乗寺の御朱印は、総合受付にて直書きで授かることができます。初穂料は500円でした。

最乗寺までのアクセス

次の通りです。

基本情報

〒250-0127 神奈川県南足柄市大雄町1157
電話:0456-74-3121
FAX:0465-73-3146

最寄り駅

大雄山線 大雄山駅
小田急線 新松田駅

最乗寺 スナップ

ここからは、筆者参拝時の写真をご紹介します。

参道

大雄山最乗寺までの参道は「天狗の小径」と名付けられ、神奈川県の天然記念物に指定されている杉並木が立ち並びます。

車道側

杉並木には、樹齢450年以上から600年を超えるものが多く、1万株のあじさいも植えられていることから「大雄山あじさい参道」とも呼ばれます。

大雄山最乗寺の参道はほとんど1本道で、迷うことなく駐車場入口に辿り着くことができます。

道了尊 駐車場入り口

急勾配で、車1台の通過がやっとの激狭入口なので、気を付けて通行しましょう。

三門(山門)

平成22年、最乗寺を創建した了庵慧明禅師の没後600年を記念し、平成15年10月に完成したのが当三門です。

二重門

没後600年にあたるのが平成22年なのに、門の感性が平成15年。7年も急いでしまうせっかちさんがいるお寺なのかも知れません(怒られるかもしれない)

門前の木看板

扁額には「大雄山」とあります。

扁額

二重門と呼ばれるこの門は2階建て、高さ22m。

中には22体の仏像を祀っているそうですが、一般公開はされていない様子でした。

門までの参道

山門の向こう側にも、まだまだ道は続きます。

三門からの景色
石段と山道の連続

はじまりの座禅石

参道途中の橋を渡ったところに「座禅石」があります。

明徳年間(1390年)最乗寺を創建した了庵慧明禅師が曽我の竺土庵に閑居していた際、鷲に大事な袈裟を持ち去られます。

逃げた鷲を追う禅師は、大雄山の大松の梢にかかった自分の袈裟を発見し、この座禅石の上で落ちてくるまで待つ構えでしたが、座禅したした途端に袈裟は了庵慧明禅師の肩に落ちてきました。

この出来事を機に、了庵慧明禅師は当山に大雄山を開山したといわれており、この座禅石はいわば「はじまりの石」といえます。

座禅石のそばにたっている杉の根元あたりに、不思議なものがありました。

何かの祠かと思いましたが、何となく恐ろしくて近寄りませんでした。

参道のあちこちに張り出す杉の根

瑠璃門・碧落門

参道の右手に見えてくるのが瑠璃門です。

瑠璃門

瑠璃門の扉には、幅1.86mの一枚板の杉を使用し、杉本体の直径は2.5m。

参道から瑠璃門に至るまでの石段前に設置された石灯籠は苔むし、この時点で異質な空気を感じます。

瑠璃門

瑠璃門を過ぎると、二手に分かれます。

右は碧落門、左は衆寮へと続きますが、衆寮は一般公開されていません。

左:衆寮/右:碧落門
衆寮
碧落門

背面には、明神橋が架かっており、この先には明神ヶ岳ハイキングコースが続きます。

碧落門内、僧堂側へ続く廊下です。

回廊

尚宝殿・瑠璃門側です。

回廊

最乗寺には、歴史と趣を感じる建物がたくさんありますが、こちらで修行している人が歩く様子も見られ、廊下の照りなどからよく手入れされていることがわかります。

回廊

高下駄

最乗寺には天狗伝説があり、寺紋に羽団扇、敷地内に高下駄が設置されています。

碧落門前の階段下にあるのは、初代和合下駄。

和合下駄

足元の悪い参道において、大きな石が挟まらないようにと高下駄を履くのだそうです。

下駄は、両足そろって一対となることから、夫婦和合の信仰が生まれ、奉納者が後を絶ちませんでした。

令和6年(2024年)1月時点では、高下駄の奉納は停止しています。

御真殿

御真殿脇にも、奉納された数々の下駄が安置されています。

高下駄
羽団扇

最乗寺 境内

碧落門を抜けると、すぐ左手に光明軒があります。

光明軒

その奥に大香爐、時計台と続きます。

大香爐

こちらは総受付側です。

御朱印をいただくには、奥にある総受付が窓口です。

本堂/総受付

書院は、一般公開されていませんが、外からでも十分見応えのある外観を呈しています。

書院

書院前の玉垣には、十六弁の菊をあしらった天狗の羽団扇が刻まれています。

本堂側には、光明池の上に光明亭が建っています。

光明亭

以前は、こちらの池に亀や錦鯉を見られたのですが、参拝時には一面ネットが被せられていました。

尚宝殿(宝物殿)の入口です。

尚宝殿

この付近には、沢山の肩からの献額が掲げられており、小泉純一郎元首相の名前もありました。

仏像教室も開かれているそうで、月初には読経、仏像を手彫りするそうで、仏像彫刻界で著名な肩から直々の指導(※現在休講中)を受けられます。

この他にも、第2・第4日曜日には座禅会や写経、日帰り研修などが行われています。

毎秋、作品展・開眼供養も行われていますので、気になる方は、秋頃に公式サイトをご覧ください。

参籠で精進料理を味わえる

総受付では、ご祈祷、行事への参加申込み、授与品のほか、参籠(宿泊)申込みも受付けています。

総受付/白雲閣

参籠さんろうとは、神社や仏道へお詣りし、一定期間をそこに籠もって神仏に祈願することをいいます。

最乗寺の場合、原則一泊二日の2食(精進料理)で、精進潔斎という肉断ちにより身体を清めることを目的とした食事を行います。

宿泊希望者は、5名以上から受付可能で、宿泊希望の2週間前までに予約が必要です。お問い合わせはこちら

僧堂など

最乗寺の僧堂では、今もなお、修行僧たちが修行に励みます。

僧堂

入口の扉は開放され、観音様を拝観することができるものの、木札には「堂内、修行僧の撮影を禁止する」旨の注意書きが掲げられています。

僧堂の脇に見える建物は、鐘鼓楼(道了鐘)と呼ばれ、應永9年(1402年)洞呂尊者行脚の途次に遠州平尾八幡宮の寄進を受け、運んできた梵鐘だといわれています。

鐘鼓楼

最乗寺 本堂

最乗寺 本堂です。

本堂

本堂には、釈迦牟尼仏、脇仏の文殊菩薩 普賢菩薩の三尊仏が祀られており、御真殿とあわせ、築地本願寺を手がけた伊東忠太氏が設計しました。

伊藤忠太氏は他に、靖国神社の御神門・遊就館も手がけており、後者は登録文化財に指定されています。
彼の手がけた建造物の中には現存しないものも多いものの、明治大正期の建築界で活躍した人物でもあります。

金剛水堂・金剛壽院

大雄山(最乗寺)開山時、道了尊自ら井戸を掘り、土中深くから鉄院が出てきました。

これが大雄山の重宝「御金印」で、御金印を取り出したところから湧き出した水を「金剛水」といいます。

金剛水堂

御金印を押したお守りは厄除け・災害除け、冷泉の水には諸病平癒の御利益があるといわれています。

その向かいにある金剛壽院は、最乗寺の創建者である了庵慧明禅師の尊像をはじめ、歴代住持(住職)の霊牌を祀っています。

金剛壽院(開山堂)

現在の金剛壽院は、昭和36年(1961年)開創550年を記念して再建されたもので、総面積40坪弱あります。

金剛壽院へと続く石段の脇には、一擲石いってきいしがあります。

一擲石

最乗寺の建設中、了庵慧明禅師が弟子の道了尊を呼んだところ、道了尊は手に持っていたこお石を投げ捨てて駆けつけたといわれています。

藤沢市にある白旗神社にも、力自慢が持ち上げた石が祀られていました。昔の人は皆、剛力だったんですね…。

松平大和守直基の墓と鐘楼

石段を進みます。

参道を進むと、右手に石段、見上げると鐘楼堂が見えます。

鐘楼堂の柱、梁には、力強い彫刻が施され、鐘を鳴らすことを禁じる看板が立てられています。

鐘楼堂

鐘楼堂の奥には、松平大和守直基の墓があります。

松平大和守直基は、徳川家康の五男で、姫路に向かう途中に発症した病が原因で死去。その遺体を最乗寺に埋葬しました。

多宝塔

多宝塔は、文久3年(1863年)に創建され、多宝如来の逗子が祀られています。

多宝塔

最乗寺の中で最も古い建造物で、大正15年(1926年)、昭和3年(1928年)に起こった火災からも免れ、江戸時代の技法をそのまま残す貴重な建物でもあります。

多宝塔前には、手水舎が設けられています。

狛犬も控えています。

多宝塔 右の狛犬
多宝塔 左の狛犬

こちらには、鐘楼ではなく鰐口わにぐちが設置されています。

真下に立ってみると、かなり迫力があります。

水神様、洗心之滝

多宝塔の横に、滝と木造の建物が見えます。

参拝日はあいにくの曇天でしたが、時折晴れ間が覗き、木漏れ日が水面に反射して光る様子は美しかったです。

洗心之滝

小さな祠には、水神様が祀られています。

水神様

洗心之滝は明神ヶ岳の山麓から引いた湧き水で、水底まで透けて見えます。

圓通橋から水底を見ると、たくさんの参拝者が投げたお賽銭が見えますが、どうしてここにお賽銭を投げるのかはわかりませんでした…。

結界門

視線を左に移すと、結界門と御供橋が見えます。

神社は、境内と外部を鳥居で仕切りますが、お寺は山門を仕切りに用い、結界の役目を持たせています。

結界門前に架かる橋は、圓通橋といいます。中央部分の仕切られている部分は、御供橋といい、修行僧が道了尊へ御供する際に使うそうです。

御供は修行僧の手作りで、僧堂の後ろにある御供堂内で調理されます。

材料は、米と小豆、金剛水・権現水で蒸して霊櫃に入れたものを、御供式の中で献供します。

結界門

最乗寺の結界門は、大天狗(右)、小天狗(左)が護ります。

大天狗は、山伏の格好をしていて、山岳信仰における山神の天狗。

大天狗

小天狗は甲冑を身に纏い、剣のようなものを振りかざしています。

今回は、結界門ではなく、清龍不動尊側からあがります。

清流不動尊

洗心之滝に近づいていくと、粗い石段があります。

洗心の滝

目にするもの全てが苔むしており、長い歴史を感じずにはいられません。

水神社

滝を見上げると、お堂が見えます。これが不動堂です。

清龍不動尊

清龍不動尊には、天祐不動明王・愛染明王が祀られています。

清瀧不動尊

大山不動尊に次いで関東三十六不動の第2番札所でもあります。

堂内は無人でしたが撮影は遠慮し、そのまま石段を昇ります。

清瀧不動尊

御真殿

最乗寺の御真殿には、妙覚道了大薩を御本尊とし、両脇侍に大天狗・小天狗が祀られています。

御真殿

御真殿の右後ろには、お守札お受け所(寺務所)があります。

寺務所

こちらでお守り等を授かることができるようですが、御朱印を授かるには総合受付が窓口です。

手水桶

御真殿の隣には、奉納された高下駄があります。

高足下駄

碧落門前のn高下駄も驚きましたが、こちらにある高下駄のうち、最も大きなものは3.8トンあるそうです…!

更に隣には、十一面観世音菩薩が祀られています。

十一面観世音菩薩

十一面観世音菩薩の足下には、白い菩薩様がいらっしゃいましたが、詳細は不明でした。

最乗寺の開山者 了庵慧明禅師の弟子だった道了尊は、この十一面観世音菩薩の化身だと言われています。

天狗伝説の一説、「五大誓願文を唱え、火炎を背負い、右手には拄状(しゅじょう)左手に縄を持ち、両手両足に幸運の使いの蛇を従え天狗に化身し、白狐の背に立ち、天地鳴動して山中に身を隠された」という節を表した石像です。

道了尊 天狗化身像

了庵慧明禅師は死後、法衣を着て白狐にまたがる天狗の姿になり、向かい側の峰にそびえる大樹に天降った…との言い伝えにならい、こちらの像がつくられました。

天狗界(そんなものがあるのかどうか定かではないですが…)では、羽根のあるカラス天狗が羽根を落とすと、大天狗へと昇格するそうです。

石碑

三面殿

三面殿には、三面大黒天が祀られています。

最乗寺の創建に協力した箱根権現(清水の神様)、矢倉明神≒足柄大明神(矢倉沢の薪の燃料の神様)、飯澤のお米の神様の三柱が一体となり、七福神の大黒様となった様子を像にしたもの。

それぞれ、小槌、巻物、大きな袋を握っています。

三面殿前の狛犬は、右側は子をあやし、左の狛犬はじっと見守っている様子でした。

三面殿前には、かなりインパクトのある岩が設置されています。

この一部に竜頭があり、こちらから湧き出る水にて手を清めます。

また、少し隣にずれたところには観音菩薩様が立っています。

こちらにも柄杓が設置されているため、いずれかで手を清めるシステムなのだろうと思いつつ、竜頭からの湧き水にて手を清め、参拝しました。

最乗寺 奥之院(慈雲閣)

石碑等の更に奥へ進むと、石段上に冠木門が見えます。

冠木門

冠木門の先に見える石段は350段余り。鬱蒼とした老杉の中を進むと、御本地十一面観世音菩薩(当山守護道了大薩埵の御本地)が奉安されている奥の院に辿り着くことが出来ます。

…と分かってはいても、心細さを感じるのがこの石段です。

冠木門 右側の狛犬
冠木門 左側の狛犬

参拝時、私以外には誰もおらず、時折杉林の中から立つ音に「クマだったらどうしよう…」との思念が浮かんでは消えました。

石段の途中、詳細のわからない祠がありました。

祠の外に祀られた雪駄らしきものと、その造りから、おかしなものが祀られているわけではないとわかっていても、孤独感の中にいた筆者の目には不気味にうつりました。

更に進むと、少し平坦な道を経て、大天狗・小天狗が現れます。

天狗の先には216段。

最後の一踏ん張りを応援してくれているのか、それとも、引き返せと言いたいのか…。

下記の大天狗は、より強力な神通力を持つとされる山伏姿の「鼻高天狗像」です。

大天狗

大天狗の反対側に立っている小天狗は、別名 烏天狗と呼ばれています。

インドの神話の巨鳥が烏天狗として表されました。

烏のような嘴(くちばし)をもった顔、黒い羽毛に覆われた体を持ち、自在に飛翔することができます。

小天狗

結界門前の天狗と装いが異なりますが、最乗寺の天狗は高尾山と同じ飯縄系の天狗なんだそうです。

フィナーレが1番険しかったです。

ようやく辿り着いた奥之院ですが、恥ずかしながら息が上がり、すぐにはお詣りできません。

奥之院(慈雲閣)

ここまでの段数は、下から11、60、40、2、2、17、216の計348段。冠木門と浄財箱の6段を併せ、354段になります。

段数は別としても、この奥之院が大雄山のもっとも高い所に位置することに変わりはなく、最高に険しい道のりでした…。

奥之院(慈雲閣)

奥之院は、昭和43年(1969年)に今の建物を再建し、本尊として十一面観世音菩薩が祀られています。

奥之院の脇には、授かり所もありました。しかも、人がいました。

「こんな急な階段を毎日お仕えするために昇降しているのか…」と畏敬の念を抱いているところ、奥之院の裏手に往路が用意されていました。

恐らく、授け所に詰めている方の車であろう普通車も駐車されており、「そりゃそうだよな」という気持ちになったことをお伝えしておきます。

現場からは以上です。

総合受付の脇にあるポスト

神奈川県足柄上郡「最乗寺」まとめ

当ページでは、神奈川県南足柄市にある「大雄山最乗寺」をご紹介しました。

Check