神奈川県ナンバーワン「鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)」参拝レポ【御朱印】

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筆者プロフィール

榊原 沙奈さかきばら さな
榊原行政書士事務所 代表行政書士(lit.link)
やぎ座のO型。趣味は写真を撮ること、神社をめぐること。

鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)

鶴岡八幡宮は、康平6年(1063年)源頼義が源氏の守護神として由比郷鶴岡(現 材木座)に、京都の石清水八幡宮護国寺を歓請したのがはじまりでした。

その後、源頼朝が現在の土地へ遷し、鶴岡若宮と称したのが今の鶴岡八幡宮です。

鎌倉の顔でもある鶴岡八幡宮は、「鎌倉八幡宮」と呼ばれることもあります。

鶴岡八幡宮は、武士の都・鎌倉文化の基点にもなりました。

由比ヶ浜海岸から鶴岡八幡宮まで、約2kmの直線を結ぶ参道や若宮大路を中心に発展してきたことから、今なお門前町として鎌倉観光の拠点になっています。

鶴岡八幡宮 一之鳥居

鶴岡八幡宮 御祭神
  • 応神天皇(第15代天王)
  • 比売神(ひめがみ)
  • 神功皇后(第14代仲哀天王の妃であり、応神天皇の母)

摂末社

鶴岡八幡宮の摂末社は次の通りです。

  • 旗上弁天社
  • 白旗神社…源頼朝、源実朝
  • 丸山稲荷社
  • 若宮(下宮)…仁徳天皇など
  • 祖霊社
  • 今宮…後鳥羽天皇、土御門天皇、順徳天皇
  • 由比若宮(元八幡)

鶴岡八幡宮 御朱印

鶴岡八幡宮の御朱印は、大石段(本宮)下、右手の「ご祈祷受付所」にて授かることができます。

初穂料は500円、直書きにていただきました。

鶴岡八幡宮までのアクセス

次の通りです。

基本情報

住所:〒248-8588 神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1-31
電話:0467-22-0315

最寄り駅

JR鎌倉駅東口から徒歩約10分
江ノ電鎌倉駅から徒歩約10分

鶴岡八幡宮 参拝レポ

ここからは筆者 参拝時の様子をお伝えします。

三之鳥居から

今回は、北鎌倉方面から来たため、スタートが三之鳥居でした。

目の前はスクランブル交差点になっており、背面には参道「若宮大路」が広がります。

右手に源氏池、左手に平家池がありますが、まずは本宮を目指します。

源氏家にかかる桟橋

平家池にかかる桟橋
平家側には庭園

京都を彷彿とされる通り

参道を真っ直ぐ歩くと、交差する1本の通りがあります。

白旗神社 社殿側
北鎌倉に向かう通り側

あまりに爽やかな横断っぷりに、京都の小路を思い浮かべながら更に進みます。

手水舎

鶴岡八幡宮の手水舎は、朱色のお社内に佇んでいました。

手を清める人が次々訪れ、いつまで待っても無人の様子は撮影出来ません。

それほど、鶴岡八幡宮は有名かつ人気の神社であることがわかります。

向かい側には社務所がありますが、この日は空いていませんでした。

舞殿(下拝殿)

本宮の直線上に、舞殿があります。

静御前が義経を慕って舞った若宮回廊跡に位置し、神事・結婚式等をこちらで行うようです。

若宮(下宮)

舞殿ななめ後ろに位置する若宮は、本宮とともに、国の重要文化財に指定されています。

仁徳天皇、履中天皇、仲姫命、磐乃媛命を祀っているお社でもありますが、テント等で全体は見られませんでした。

自祓い所

舞殿左側に、茅の輪が設置されていました。

自分でお祓いをするための人形が備えられており、初穂料は100円。

多くの人が茅の輪をくぐっていました。

鶴岡八幡宮の狛犬は訴求力が違う

大石段の下に、狛犬がいました。

色々な神社の狛犬を見てきたけど、初めて見るデザイン(という形容が正しいかどうか定かではないのですが)です。

犬くらいの全身に対し、人面のようにも見えます。

何か言いたげな表情が印象深い狛犬たちでした。

本宮(上宮)

石段を登り切ると、本宮楼門です。扁額の「八幡宮」の「八」は、鳥が向かい合っています。

楼門に付された龍と虎の彫刻が、静岡浅間神社の楼門を想起させます。

この先の本殿、武内社、宝物殿は全面撮影禁止だったため写真はありませんが、異国に迷い込んだような空気が漂っていました。

親銀杏(大銀杏)と子銀杏

大石段の下に、2つの銀杏があります。

親銀杏の樹齢は1000年を超えるとされていましたが、平成22年(2010年)に強風により倒伏。

その後、根元からひこばえが確認され、現在は順調に成長しているようです。

旗上弁天社

源氏池に浮かぶ島に旗上弁天社があります。

治承4年(1180年)伊豆国における石橋山の戦いに敗れた源頼朝は房総へ。

その後、鎌倉に移ると直ちに鶴岡八幡宮を創建し、平家討伐の本拠としました。

このとき、夫人である北条政子によって源氏池に三島、平家池に四島を造り、平家滅亡を願ったとされています。

3は「産」、4は「死」を意味するから…とされていますが、池を造るほど平家滅亡を願っていたのかと思うと、何とも言えない気持ちです。

源氏池の三島には辨財天社を祀ったそうですが、これが旗上弁天社とはじまりとされています。

社殿前 藤棚

旗上弁天社 御朱印

旗が見弁天社でも御朱印をいただくことができます。

授与所

直書きにて、初穂料は500円でした。

風が強くおさえ紙が…
旗が見弁天社 御朱印

ふじさわ七福神 集印用色紙やオリジナルの御朱印帳も授かることができます。

藤沢七福神用の色紙
鶴岡八幡宮には鳩がたくさんいた

丸山稲荷社

本宮を左に進むと、稲荷社があります。

おみくじ等 授与所を抜けていった先です。

目印は、朱色の鳥居です。

丸山稲荷社の御祭神は、倉稲魂神。建久2年(1191年)本殿が創られる前から、この地に祀られていた地主社です。

社殿の造りは一間流見世棚造というもので、室町期の神社建築の遺例として高く評価され、境内に現存する建造物のうち最古といわれています。

これらを踏まえ、昭和42年(1967年)には、国の重要文化財に指定されました。

毎年11月8日に行われる火焚祭では、鎌倉神楽が奉納され、大勢の参拝客で賑わうそうです。

その他のスナップ

参拝時の写真をいくつかご紹介します。

本宮を背に見た若宮大路(段葛)
二之鳥居
三之鳥居
丸山稲荷社側の鳥居
そばの手水舎
丸山稲荷までの階段
祖霊社裏手

神奈川県鎌倉市「鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)」まとめ

当ページでは、神奈川県ナンバーワン人気の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)をご紹介しました。

とてもじゃないけど、1度の参拝で全てはまわりきれなかったので、次回にご期待ください…!

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難攻不落の「小田原城(おだわらじょう)」レポ【御城印】

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小田原城は、1500年頃に小田原北条氏の居城となり、関東支配の中心拠点として拡張整備され、最終的には日本最大の中世城郭となりました。

当ページでは、小田原城の見所、御城印、小田原城へのアクセスをご紹介します。

筆者プロフィール

榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
やぎ座のO型。
榊原行政書士事務所 代表を務めるかたわら、日常の疑問・悩みに効く情報を発信しています。趣味は、写真を撮ること、神社巡り。

小田原城(おだわらじょう)

小田原城は、室町時代に大森氏が築いた城郭を前身とし、1500年頃から100年にわたり、北条家5代で規模を拡大したお城です。

しかし、天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原攻めにより、石垣山(一夜城)をはじめ、北条市は滅亡し、戦国時代も終焉を迎えました。

このとき、徳川家康に従い大久保氏が城主となり、城の一部を破却して規模を縮小。近世城郭の姿へと改修されました。

その後、明治3年(1870年)から明治5年(1872年)までの間に、場内の多くの建物は解体され、大正12年(1923年)の関東大震災により、江戸時代の姿は失われてしまいました。

現在の小田原城天守閣は、昭和35年(1960年)に復興されたもので、昭和46年に常盤木門、平成9年に銅門、平成21年に馬出門が完成しました。

御城印

小田原城の御城印は、本丸売店(チケット販売所)にて購入できます。通常版は300円、切り絵は1,000円でした。

気を付けたいのが、登城チケットはクレジットカード、交通系IC等に対応しているものの、御城印は現金のみ対応。

以前、登城時に現金の持ち合わせがなく、今回は御城印のみ求めて来ました。

左が切り絵、右が通常
朱に金が映える
ラメ感がゴージャス

小田原城までのアクセス

次の通りです。

基本情報

住所:〒250-0014 神奈川県小田原市城内
電話:0465-22-3818

最寄り駅

JR小田原駅東口より徒歩約10分です。

小田原駅構内 東海道線改札上にある小田原提灯
小田急線
東海道線のホームから小田原城

車の場合

小田原厚木道路 荻窪ICから約10分
西湘バイパス 小田原ICより約5分
東名高速道路 大井松田ICより約40分

小田原城址公園に一般駐車場はないため、周辺の有料駐車場をご利用ください。

登城ルート

小田原城址公園には、4つの入り口があります。

  1. 正面入口(馬出門)
  2. 学橋・二の丸
  3. 南入口(御茶壷橋)
  4. 北入口

引用:交通アクセス|小田原城【公式】

小田原城 お散歩レポ

ここからは、小田原城周辺のお散歩レポです。

※今回は登城しなかったので、次回をお楽しみに…。

報徳二宮神社 境内を抜けてのスタート

今回は、報徳二宮神社への参拝を終えてからの散策なので、南入口からのご紹介です。

弁財天通り沿いの石碑

報徳二宮神社参拝記事は、下記をご覧ください。

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報徳二宮神社 小田原城側の鳥居

南入口

南入口の脇には、御感の藤という藤棚があります。この藤棚は小田原市の天然記念物に指定されています。

例年4-5月には爽やかな藤色のカーテンが見られますが、今(2023年12月現在)は足下のスズランが見頃でした。

入り口には、このような看板もあります。

御茶壷橋を渡ると、左手に蓮池がありますが、こちらも今は淋しい時期。

蓮の見頃は、7-8月頃です。

御茶壷橋を渡ると、左手に郷土文化館があります。

早川石丁群の切石

郷土文化館の前に、大きな石が2つあります。

この石は、江戸城修築に使用する石垣用の石をつくる「石丁場」のものだと考えられていて、特に歴史的価値の高いものを移設保存したもの。

切石の角を見ると、割り取るときに刻まれる「矢穴」が見られ、正面に「寸」の刻印があるので、小田原城にお越しの際は観察してみてくださいね。

この切石の向かいに、小田原市郷土文化館があります。

小田原市郷土文化館

入館料は無料で、年末年始(12月28日-1月3日)を除き、9時-17時まで開館しています。

文化館前の子馬

銅門枡形内仕切門-銅門(あかがねもん)

銅門(あかがねもん)は、江戸時代、二の丸正門として機能していた門です。

枡形という形式の門で、櫓門(やぐらもん)と内仕切門の2つの門と、両者をつなぐ石垣と土塀で構成されます。

内仕切門

門外に架かる橋は住吉橋

扉の飾り金具に銅を使用していたことから、銅門と名付けられたといわれています。

内仕切門側からの銅門

アップ

現在の銅門は、発掘調査の成果、絵図、古写真等を参考に、平成9年(1997年)に復元したものです。

小田原城を背に見た鋼門

具体的には、平成5-7年(1993-1995)に枡形・石垣復元工事、平成8-9年(1996-1997年)に渡櫓門・土塀の順に行われました。

石垣の復元には、関東大震災で住吉塀に崩落した石材を、門石に真鶴産の小松石(安山岩)平石、蔵王山系山岩を使用。

復元にあたり、宮大工の芹澤伸明氏が棟梁を務め、市内の大工職人、近隣の左官職人らが持てるワザを結集し、造り上げたものです。

復元に使用した木材のうち、鏡柱など14本の檜材はラオスから輸入し、天上の大梁2本は国産の黒松。これらの檜、松は、樹齢200年を超える大径木を使用しています。

銅門(あかがねもん)土塀模型と礎石

小田原城址公園内にて、銅門の土塀模型を見ることができます。

この模型は、使用する木材や白壁の材料になる土の収縮・乾き具合などを確かめるために制作されたものです。

土塀の材料は、地元でとれたものを使うことが多く、そのほうが現地の風土・気候に適うため合理的と考えられています。

材料の混合比は、職人の勘に頼るところが大きいうえ、この混合比率を見誤ると、後にひび割れ等の原因にも…。

かなりデリケートな作業だけに、慎重に進められたことがわかります。

土塀が乾くのを待ったら、中塗り、本塗りの順で仕上げますが、銅門には砂漆喰を使用しているんですね。

これらの作業は時間との闘いとなるため、左官職人が総出で行うのが一般的。

私が呑気に眺めている銅門に、いったい何人の職人のワザが光っているのか、考えるだけでも背筋がのびます。

それから、銅門礎石。

この2つの石は、もともとの銅門で使用していたと考えられている石です。

銅門の礎となる石は、ほぼ土中に埋められ、側面を斜めに加工し、櫓代の石垣に合わせて設置することになります。このうえで、穴に柱材を固定し、礎石となります。

手前が1.6t、奥は1.8tもの重さがあるそうです。

小田原城歴史見聞館/NINJA館

土塀のそばに、小田原歴史見聞館(NINJA館)があります。

メインとなるコンテンツは、戦国時代に北条氏を陰で支えた風魔忍者。

映像・展示を通じ、北条五代の歴史と風魔忍者について学んでほしいという思いから造られた施設でもあります。

開館時間は、9時-17時。入館料は大人310円、小中学生100円。

休館日は12月31日、1月1日のみというタフな営業をなさっています…!

ちなみに、歴史見聞館のある場所は、小田原城二の丸跡でもあります。

通常、藩主の住まいは本丸にありますが、小田原城の本丸には、徳川将軍家のための御殿があり、小田原藩主の住まいは二の丸に置かれました。

藩主の住まいとしてだけでなく、「二の丸御屋形」とも呼ばれ、藩内の政治を司る政庁としての役割もあったようです。

いぬまき

本丸に向かって歩くと、立派な木があります。小田原城跡のイヌマキです。

小田原市指定天然記念物にも指定され、枝振りを支えるため、支柱も設けられています。

頬杖をついているようで愛らしいですね。

イヌマキは、関東南部以西の海岸地帯にある森林に多く自生している木で、小田原市内では身近な存在です。

このイヌマキは幹周り4.5m、小田原市内最大のイヌマキでもあります。

隣の木は、美紀の一部がぱっくりと割れてしまっているところを見ると、このイヌマキがどれほどの荒天を乗り越えてきたのかがわかりますよね。

常盤木門

朱い桟橋を通ります。

平成29年(2018年)3月の様子

春から夏に登城される方は、こちら側からの登城がオススメです。

というのも、この桟橋の下には花菖蒲、本丸側の斜面にはたくさんの紫陽花が植えられていて、夜にはライトアップも!

桟橋を渡るとすぐに石段があり、常盤木門です。

本丸には、常盤木門と鉄門の2つの門を設けて、徳川将軍家 御殿を護っていました。

「常盤木門」という名前は、戦国時代から本丸にあった7本松に由来しています。

現在、7本松は1本しか残っていませんが、「巨松」と名付けられ、今でも多くの観光客に愛されています。

常盤木門は、本丸の正門にあたり、重要な防御地点なので、他の門と比較しても大きく、堅固な造りなのがわかります。

常盤木門外側から

多聞櫓(たもんやぐら)と渡櫓門(わたりやぐら)があり、多門櫓は武器の貯蔵庫としても機能していました。

ちなみに、門についているこちらの金具▽

「乳鋲(ちびょう)」という装飾品で、閂鎹(門の釘)の先端が表に出るのを隠すために着けられるものです。

目を惹きますよね、この形状。

筆者はこのパーツを見つける度に、撮影している気がします。

門の内側から
本丸側から

小田原城 本丸

常盤木門をくぐるとすぐに本丸です。

小田原城の本丸は、東西83間(約150m)、南北63間(約114m)の規模で、西端に天守台、中央に本丸御殿がありました。

他のお城の場合、本丸御殿は藩主居館として用いますが、小田原城では徳川将軍家の宿所としての役割を持ち、寛永10年(1632年)の寛永小田原大地震にて倒壊後、三代将軍徳川家光の宿所として再建されました。

現在の小田原城天守閣は、昭和35年に市制20周年記念事業として、総工費8000万円をかけて復興したもの。復興にあたり、「瓦1枚運動」が展開され、多くの市民から寄附が寄せられました。

小田原城は、3重4階の天守櫓に「付櫓」「渡櫓」をつけた複合式天守閣で、地上38.7m、鉄筋コンクリート造、延床面積1822m2。

最上階に見える高欄付き廻縁は、復興時、新たにつけられたものです。

小田原城に登城するには、こちらから上がります▽

平成29年(2018年)3月の様子

入館料は、一般510円、小中学生200円。30名以上団体は一般410円、小中学生160円です。

関連リンク
オンラインチケット購入ページ|アソビュー
チケット料金案内|小田原城公式サイト

大手門跡

小田原城址公園の敷地から少し離れたところに、大手門跡があります。大手門跡といっても、実際に設置されているのは鐘楼。

目の前が小田原家庭裁判所という面白い場所にあります。

この場所は、城下より一段高くなっていて、この門の西側が小田原城三の丸。藩の重臣のお屋敷が建ち並んでいました。

大手門は、寛永10年(1632年)の改修工事により、三代将軍徳川家光の上洛を控え、石垣が造られました。

寛永20年(1642年)には、幕府の許可を得て、正保年間(1644-1648年)に渡櫓門が建設され、延宝年間(1673-1681年)には、前面に冠木門が普請され、渡櫓・冠木からなる大手門の規模は、鋼門とほぼ同一でした。

大手門櫓台 石垣上に鐘楼が設けられたのは、大正時代に入ってから。

小田原城址公園からこちらまでの全てが、小田原城の一部だったと考えると、当時の将軍の勢力がどれほど大きかったかがわかりますよね。

お土産

お土産は、小田原城内に売店があるほか、城下の本丸売店・本丸茶屋でもお買い求めいただけます。

売れ筋は、虎朱印最中城下町もなか、笹かま、手作りせんべい、ほととぎす。

城・武将クリアファイル武将扇子立ちコマなどが人気です。

筆者も武将扇子を持っていますが、他とあまりかぶらないし、渋くてかっこいいですよ~!

ちなみに、お土産物にも使用される大納言小豆でつくる絶品あんこは、小田原市のふるさと納税返礼品にもなっています。

現在は封鎖された星﨑記念館【写真】

郷土資料館の奥に、古い建物があります。

この建物は星﨑記念館といい、令和2年3月31日をもって60年の歴史に幕を下ろしました。

中には図書館もありましたが、現在は小田原駅東口図書館に引き継がれています。

そんな星﨑記念館の内部をおさめた写真があったので、下記に掲載します。

ちょうど桜の時期で、大きな窓から見る桜が素晴らしかったです。

難攻不落の「小田原城」レポ【御城印】まとめ

当ページでは、難攻不落の「小田原城」をご紹介しました。

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神奈川県秦野市「曾屋神社(そやじんじゃ)」参拝レポ【御朱印】

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神奈川県秦野市にある「曾屋神社(そやじんじゃ)」は、江戸時代まで「井名神社(いみょうじんじゃ)」と呼ばれてました。境内にある井之明神水からは、今でも清水が湧き出しています。

当ページでは、水の豊かな秦野に鎮座する曾屋神社の見所、御朱印、曾屋神社までのアクセスをご紹介します。

筆者プロフィール

曾屋神社(そやじんじゃ)

曾屋神社(そやじんじゃ)は、貴重な湧水地に天長年間(824-834年)に「水を司る神様」を祀ったのがはじまりだといわれています。

新編相模国風土記稿という書物には、「井野明神(いのみょうじん)社祭神詳らかならず、神体石二個を置き、例祭九月九日、天正十九年(1592年)社領三石五斗の御朱印を賜る。老杉(円一丈二尺余り)をご神木とす。幣殿・拝殿・神楽殿建てり。末社、稲荷・浅間・毘沙門・三峰」と書かれています。

明治6年(1873年)には、曾屋村内にあった加羅古神社、八幡神社、熊野神社、加茂神社、白山神社、牛頭天王社を合祀し、曾屋の村名をつけて「曾屋神社」に改称しました。

曾屋神社 御祭神
  • 水波能売命(みずはのめのみこと)
  • 御井神(みいのかみ)
  • 伊弉那美命(いざなみのみこと)
  • 誉田別命(ほむだわけのみこと)
  • 事代主命(ことしろぬしのみこと)
  • 加茂別雷命(かものわけいかずちのみこと)
  • 菊理比売命(くくりひめのみこと)
  • 境内社
    • 秦野護国神社
    • 井の宮正一位稲荷大明神
    • 神明神社

    曾屋神社 祭礼
    1月1日 元旦祭
    2月11日 建国祭
    2月17日 祈年祭
    6月30日 大祓い(茅の輪くぐり)
    7月10日 例大祭(本殿祭)
    7月下旬土曜日 例大祭(神幸祭)
    11月23日 新穀感謝祭
    12月31日 大祓(年越の祓)
    毎月10日 月次祭

    曾屋神社 御朱印

    曾屋神社の御朱印は、授与所にていただくことができます。

    初穂料は500円、直書きにて授かりました。

    曾屋神社までのアクセス

    次の通りです。

    基本情報

    住所:〒257-0031 神奈川県秦野市曽屋1丁目8-10
    電話:0463-81-0805

    最寄り駅

    小田急線 秦野駅北口より徒歩約30分

    曾屋神社 参拝レポ

    ここからは、筆者参拝時の様子をお伝えします。

    とにかく曾屋神社の鳥居がすき

    曾屋神社の鳥居は、白、青(青銅)、朱色のいずれでもなく、下記の色味です。

    参拝した神社は数えるほどはありますが、こんな色の鳥居見たことない…!と感動し、まじまじと眺めてしまいました。渋くてかっこいい…!

    宮司さんいわく、この鳥居は「緑色」なのだそう。

    神奈川県内で同じ色をした鳥居は、真名瀬(神奈川県三浦郡の葉山近辺)の神社さんだけだそうで、こんなに渋い鳥居がもう1つあるなんて行ってみたいなぁと思った筆者です。

    額束もかっこいいんです…。

    「曾屋神社 宮司守山文夫謹書」とあります

    いっぽう、二之鳥居は白色です。

    一之鳥居をくぐるとすぐにかかっている橋は「太鼓橋」といいます。

    往時は、この真下を湧き水(泉水)が流れていたそうです。

    視線を横に振ると、真っ赤に紅葉したもみじがこちらを覗いていました。

    秦野は自然が多い土地ですが、市内にある神社も、境内の植物が表情豊か。

    市街地にあるにも関わらず、森林を散策しているような気持ちになれます。

    手水舎

    二之鳥居右手に、手水舎があります。

    手水舎の立派さには目を見張るものがありますが、更に驚いたのは水音。

    参拝時、工事関係者が境内で作業しており、ラジオの音と話し声が聞こえていました。

    …にも関わらず、こちらの手水舎から流れる水の音は、まるで川辺で聞くせせらぎ。

    下に設置された竹筒との接触音がそうさせるのか、それとも筆者の勘違いかは定かではありませんが、備付の柄杓は使わず、流水にて手を清めました。

    記念碑?

    手水舎の向かい側に、何らかの「碑」が祀られていました。

    何と読むのか、何を祀っているのかわからず、色々と調べてみたものの、詳細は不明でした。

    わかり次第、追記します…!

    隣には「平成御大典記念」。

    掲示板でさえ、趣を感じます。

    拝殿

    曾屋神社の拝殿(覆殿)は、昭和9年に竣工しました。

    昭和7年11月14日に襲来した七五三台風により、たくさんの木々が倒れたそうですが、竣工時にはこれらを使ったそうです。

    本殿を見る事は叶いませんでしたが、曾屋神社の本殿は総ケヤキ造り。

    曾屋神社の歴史を考えると、かなりどっしりとした佇まいなのでは…と思います。

    拝殿前にある菊花を眺めて喜んでいたところ、不意に視界に入ったえびす様に腰が抜けそうでした。

    だって、顔がないんだもの…。

    隣の落花生は秦野市の名産品なので、恐らく、町おこしの一環かと思われます。

    授与所の前に設置されたガチャガチャも、お子さんが喜びそうなラインナップでした。

    井之明神社

    拝殿脇を下へ降りると、釜のようなものと、流水音に気がつきます。

    焼き芋…?

    釜はさておき、流水音は井之明神社から聞こえるものでした。

    周囲は落ち葉が埋め尽くす空き地なのですが、井之明神社周辺だけがしっかり「お社」。

    平成16年に旧湧水口を掘り当て、整備したものです。

    井之明神社の隣には、男石がありました。

    男石があるということは、どこかに女石も…と探すと、井之明神水の受け皿になっている石が女石のようです。

    忠魂碑/秦野護国神社/稲荷社

    曾屋神社の鳥居前を少し右側へずれると、もう1つ鳥居があります。

    この鳥居左側には忠魂碑が、右側には秦野護国神社があります。

    忠魂碑の前には、狛犬が座っていました。

    ただ、右側の狛犬がケガをしており、足元の子も首から上がありません。

    敢えてこうなっているのか、それとも事故なのかわかりませんが、こんな風に欠けているものを見ると胸が痛みます…。

    こちらは秦野護国神社です。

    工事中のためか、真ん前にパイロンが設置されていたため、離れた場所から眺めるにとどめました。

    市制前、秦野町から出征した方々の英霊をお祀りしているそうです。

    曾屋神社拝殿右側には稲荷社があります。

    社殿前においなりさんが座っていますが、遠目からでも一部欠損している箇所が見え、痛ましかったので鳥居手前で手を合わせてきました…。

    このほか、曾屋神社の境内には神明社もあります。

    神明社側は工事の人が出入りしていたため遠慮しましたが、場所は拝殿左側です。

    気さくな宮司さん

    全ての社殿へお詣りを済ませ、御朱印をいただきに授与所へ。

    このとき、宮司さんは不在でしたが、「階段下の宮司宅に声をかけてほしい」と張り紙がしてあり、恐る恐る訪ねると「いま上に行きます」と快く書いてくださいました。

    宮司さんのお宅

    手指にインクがついていたことから、きっとお忙しいのだろうと考えると、御朱印がより大事に思えるのでした。

    神奈川県秦野市「曾屋神社(そやじんじゃ)」まとめ

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    当ページでは、神奈川県平塚市の北西にある「岡崎神社(おかざきじんじゃ)」の見所、アクセス、筆者が参拝した時の様子をご紹介します。

    筆者プロフィール

    榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
    やぎ座のO型。
    榊原行政書士事務所 代表を務めるかたわら、日常の疑問・悩みに効く情報を発信しています。趣味は、写真を撮ること、神社巡り。

    岡崎神社(おかざきじんじゃ)

    岡崎神社は、大同2年(807年)山王社(坂本山山王大権現)として創建されたのが始まりだとされています。

    岡崎地区の鎮守として、五穀豊穣・家内安全を願う崇敬の拠り所して、1200年もの間、崇拝されてきた神社でもあります。

    明治のはじめ、社号を日吉神社と改めた後、明治42年(1909年)には白髭神社外六社を合祀して、今の岡崎神社と改称しました。

    岡崎神社 御祭神
    • 大山咋命(おおやまくいのみこと)
    • 猿田彦命(さるたひこのみこと)
    • 須佐之男命(すさのおのみこと)
    • 応神天皇(おうじんてんのう)
    • 大物主命(おおものぬしのみこと)
    • 菅原道真(すがわらみちざね)

    岡崎神社 例祭
    • 1月1日 歳旦祭
    • 2月17日 祈年祭
    • 6月30日 夏の大祓式
    • 7月第4土曜日 山王神社例祭
    • 10月8日 例祭(宵宮際)
    • 10月9日 例祭
    • 11月23日 新嘗祭
    • 12月31日 師走の大祓式

    岡崎神社までのアクセス

    次の通りです。

    基本情報

    住所:〒259-1212 神奈川県平塚市岡崎3650

    最寄り駅

    小田急小田原線 伊勢原駅 南口よりバスに乗り約20分

    参拝レポ

    ここからは、筆者が参拝したときの様子をお伝えします。

    参道は階段

    岡崎神社の参道は、階段です。

    下から見ると何だか果てしないんですが、他の神社(大山阿夫利神社など)を経験しているため、辛さは感じません。

    ただ、この階段を昇らなくて迂回ルートはありますので、体調等に不安がある方は無理をなさらないでくださいね。

    社殿入り口の神門が見えて来ました。

    ここまで来れば、足取りも軽くなります。

    一之鳥居と神門

    階段をのぼりきり、振り返ると良い眺めでした。

    小雨が降っており暗いですが…

    岡崎地区は、田畑も多いので、平塚市外を見渡せます。

    快晴の日には更に素晴らしい景色が見えるのではないかと思います。

    鳥居をくぐり、御神門前です。

    社号碑を雨滴が伝い、涙みたいですね…

    しっかりとした造りの神門に、背筋を正します。

    門前をしっかり狛犬が護っていました。

    鞠をしっかりキープ
    幼子をあやす狛ちゃん

    狛犬はこの子たちの他、拝殿の前にもいます。

    外形は似ているものの、口元に朱色が使われていたり、身体の一部に異なる色を使用していたり(劣化だったりして…)と異なる点が面白いですよね。

    鐘楼堂

    神門をくぐるとすぐ左手に、鐘楼堂があります。

    鐘楼がある他の神社と言えば、座間神社前鳥神社を連想しますが、鳴らしてはいけない旨の注意書きがないため、もしかすると自由なのかもしれません。

    かといって、用もなく鳴らすことはしませんが…。

    縁起書によれば、ここには別当寺の岡崎山宝行寺があり、天台宗の修行の場として栄えていたそうです。

    明治に入るとお寺は閉鎖されましたが、岡崎神社は残ったことから、当時の名残として設置されているのかもしれませんね。

    鐘楼にも色々なデザインがあることに気がつく

    手水舎

    拝殿の斜め前ほどに、岡崎神社の手水舎があります。

    手水舎までしっかり彫刻が施されており、近隣の住民から愛されてきた神社なのだろうと感じました。

    拝殿

    手水舎で手を清め、参拝です。

    岡崎神社は、神門の前だけでなく、拝殿の前にも狛犬がいます。

    手水舎同様、拝殿にも龍の彫刻が施されていました。

    額束のフレームの金色に合わせたのかどうかはわかりませんが、左右の龍の目が金色に輝いています。

    また、拝殿の側面にも立派な彫刻が。

    だれが、いつ、何をモチーフに彫ったものなのか気になるところですが、詳細は不明です…。

    わかり次第、追記します!

    いろんな祠・境内社

    岡﨑神社の境内には、境内社、忠魂碑、詳細のわからない祠(社)がいくつかありました。

    拝殿脇の古札用の祠…?

    前鳥神社から奉納されたとされる石のテーブルと椅子は、銀杏の葉で埋もれていました。

    反対側には「前鳥神社」の文字
    松尾芭蕉の句碑

    こちらは境内社の金比羅宮のようでした。

    拝殿斜め後ろのお社
    中には小さな鐘楼のようなものが見える
    忠魂碑

    岡崎神社 ご神木

    境内を見てまわったところ、岡崎神社のご神木はこちらのようでした。

    大きく、太く、立派なこの木は「かや」といい、平塚市の指定保全樹木となっています。

    樹齢は400年程度だそうですが、実際に見上げると1000年近くここにいたのでは…と思えるほど、貫禄たっぷりでした。

    山王神社

    岡崎神社の拝殿から、一段あがったところにもお社がありました。

    こちらの額束には、「山王神社」とあります。

    山王神社 御祭神
    • 山王大権現 山王さん
    • 宇迦之御魂命 稲荷さん
    • 市杵島姫命 弁財天
    • 菅原道真命 天神さん
    • 大名持命 疱瘡神さん

    傍らの石碑を参照したのですが、弁財天だけ「さん」とないことに違和感が…。

    銀杏の絨毯

    参拝時がちょうど見頃だったようで、境内にはたくさんの銀杏の葉がありました。

    見事な絨毯です。

    岡崎神社の境内には、ブランコと鉄棒が設置されています。

    筆者も幼少、神社で遊んだことを思い出し、懐かしくなりました。

    こんなに素敵な神社が傍にあるなんて…!という気持ちとともに、幼少の自分が神社仏閣に関心があったかといわれると、まったくわからなかったと思います。

    今あるものの有り難みを、今わかるって尊いことなのだなぁと感じた参拝でした。

    神奈川県平塚市「岡崎神社(おかざきじんじゃ)」参拝レポ まとめ

    当ページでは、神奈川県平塚市「岡崎神社」をご紹介しました。

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    神奈川県小田原市「宗我神社(そがじんじゃ)」参拝レポ

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    神奈川県小田原市曾我あたりを通るとき、坂道の入り口に白い鳥居を見つけました。

    きっと神社があるんだろうと思いながら過ごし、3年近く経った今、ようやく参拝できました。

    当ページでは、神奈川県小田原市「宗我神社(そがじんじゃ)」をご紹介します。

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    筆者プロフィール

    榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
    やぎ座のO型。
    榊原行政書士事務所 代表を務めるかたわら、日常の疑問・悩みに効く情報を発信しています。趣味は、写真を撮ること、神社巡り。

    宗我神社(そがじんじゃ)

    宗我神社は、曽我祐信が再興したとされる曽我郷六ヶ村(上曽我、曽我大沢、曽我谷津、曽我岸、曽我原、曽我別所)の総鎮守で、江戸時代には小沢明神と呼ばれていました。

    長元元年(1028年)宗我神社播磨守保慶の建立で、曽我氏の祖先を祀ったのがはじまりだといわれています。

    明治に入ると、六ヶ村それぞれの鎮守をこの神社にあつめ、新たに宗我神社となりました。

    現在の社殿は、大正12年(1923年)関東大震災後に復興したものです。

    宗我神社 御祭神
    • 宗我都比古之命(そがつひこのみこと)
    • 宗我都比女之命(そがつひめのみこと)
    • 応神天皇(おうじんてんのう)
    • 桓武天皇(かんむてんのう)
    • 小沢大明神(おざわだいみょうじん)

    宗我神社 例祭k
    1月1日歳旦祭さいたんさい 新年拝賀祭しんねんはいがさい
    2月11日梅祭り流鏑馬神事るぶさめしんじ
    4月17日春季例祭 春祭り
    9月最終日曜日例大祭 本祭り
    11月23日新嘗祭にいなめさい 勤労感謝の祭り
    12月31日除夜祭 大晦日の式/大祓い神事

    宗我神社までのアクセス

    次の通りです。

    基本情報

    住所:〒250-0204 神奈川県小田原市曽我谷津386

    最寄り駅

    御殿場線 下曽我駅より徒歩約10分

    宗我神社 参拝レポ

    ここからは、参拝時の様子をお伝えします。

    気になっていた鳥居

    前を通りかかる度に気になっていた青銅の鳥居。

    実際に参拝し、こちらが一之鳥居だったことがわかります。

    鳥居の脇には「曾我兄弟遺跡城前」「鳥居建設碑」2つの碑が立っています。

    曽我兄弟は、日本三大敵討ちで有名な「曽我物語」に登城する兄弟のことだと思われます。

    この鳥居のずっと奥に、二之鳥居がちらり。

    坂道をのぼっていきます。

    二之鳥居

    えっさほいさと参道を上ると、二之鳥居です。

    宗我神社の鳥居 額束には、社号がありません。

    もしかして、と思い、裏側からも確認しましたが無地。

    鳥居脇の石塀には「曽我」

    「曽我谷津」の文字しかないため、参拝時に「曽我神社」と勘違いしてしまった筆者。

    ただ、拝殿右手の狛犬そばに木製の社号碑があります。

    奥手な神様(または宮司さん)なのかもしれませんね。

    手水舎と神輿殿?

    鳥居をくぐってすぐ左手に、石碑が建っていました。

    どの石垣のことか定かではありませんが、しっかりとした彫刻にしばし見とれてしまいました。

    右手には、大きな蔵のような建物があります。

    神輿か、倉庫かなぁと思いつつ、ご神木を見上げました。

    宗我神社のご神木

    こちらが宗我神社のご神木です。

    隣が存在感を放ちすぎていて、うっかり銀杏をご神木と勘違いしそうになった筆者ですが、注連縄がついているのがご神木だと思われます。

    ご神木に関わる記述等が一切なかったので、詳細はわかりかねますが、長い時間をこちらで過ごしているのだろうと想像できます。

    手水舎

    境内を奥へ進むと、右手に手水舎があります。

    絶えず水が流れ続けるタイプで、桶にはどんぐりも。

    もしかすると、湧き水なのかもしれません。

    手水舎の後ろには、いけすのような施設もありました。

    覗く勇気がなかったので、ちらりと見ただけですが、水が豊かな神社なのだなぁという印象を受けます。

    拝殿の神器

    手を清め、ようやく参拝です。

    拝殿の前に、狛犬がいました。

    白くて利発そうな表情をしています。

    参拝時、拝殿の中央、左右に1つずつ「鏡」が設置されていることに気がつきました。

    本殿の中に御霊(ご神体)として鏡を祀る神社があるのは知っていますが、こんな風に外に置かれているのは初めてで、若干動揺しました。

    宗我神社には、神職の方が常駐されておらず、誰に尋ねることもできなかったのが残念です。

    ただ、日本には「<ruby>八百万の神<rt>やおよろずのかみ</rt></ruby>」といって、すべてのものに神が宿るとする風潮も見られます。
    「すべてのもの」というからには、私達自身にも神が宿っているとも解釈ができるので、自らの中に宿る神を見つめるようにとの教えなのかもしれません

    尾崎一雄氏ゆかりの地

    昭和12年(1937年)に第5回芥川賞を受賞した尾崎一雄氏は、宗我神社の神主の家に生まれました。

    彼の作品は、生まれ育った下曽我を中心とするものが多く、昭和の代表的私小説家として独自の境地を開いたとされます。

    このため、宗我神社の大鳥居(一之鳥居)付近には、尾崎一雄文学碑が設置され、「虫のいろいろ」の一説が刻まれているそうです。

    今回の参拝では見逃したので、また次回…!

    神奈川県小田原市「宗我神社(そがじんじゃ)」まとめ

    当ページでは、神奈川県小田原市曽我谷津にある「宗我神社(そがじんじゃ)」をご紹介しました。

    神奈川県秦野市「福寿弁財天(ふくじゅべんざいてん)」参拝レポ

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    神奈川県秦野市にある震生湖(しんせいこ)のほとりに、「秦野福寿弁財天(はだのふくじゅべんざいてん)」のお社があります。

    秦野福寿弁財天社は、奈良にある日本三大弁財天の総本山 天河大弁財天の分霊をいただく稀少な神社でもあり、学問、技能、音楽の上達に御利益があるといわれています。

    当ページでは、神奈川県秦野市「秦野福寿弁財天(はだのふくじゅべんざいてん)」の見所、アクセスをご紹介します。

    筆者プロフィール

    榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
    やぎ座のO型。
    榊原行政書士事務所 代表を務めるかたわら、日常の疑問・悩みに効く情報を発信しています。趣味は、写真を撮ること、神社巡り。

    秦野福寿弁財天(はだのふくじゅべんざいてん)

    秦野福寿弁財天は、日本最大弁財天の総本山 奈良県 天河大弁財天の分霊をいただく稀少な神社です。

    天河弁財天は日本五大弁財天(媒体によって日本三大弁財天)の1つといわれ、分社を見かける事はほとんどありません。

    日本三大弁財天
    • 宝厳寺/竹生島神社ほうごんじ/ちくぶしまじんじゃ(滋賀県)
    • 江島神社(神奈川県)
    • 厳島神社(広島県)

    日本五大弁財天
    • 天河大弁財天社(奈良県)
    • 金華山 黄金山神社(宮城県)

    もともと弁財天は、水の神。

    神使は蛇ですし、蛇は水神の化身であり、竜神が小さくなったものと考えられるため、縁日も「巳の日」とされます。

    江島神社の御朱印に「巳の日」

    福寿弁財天までのアクセス

    次の通りです。

    基本情報

    住所:〒257-0014 神奈川県秦野市今泉1811

    最寄り駅

    小田急小田原線 秦野駅より徒歩 約50分

    バスも出ていますが、本数が少ないためオススメしません。

    福寿弁財天 参拝レポ

    ここからは私の参拝レポをお伝えします。

    一の鳥居

    秦野福寿弁財天の参道は、震生湖公園入り口からスタートです。

    参道脇の斜面は苔むしており、たくさんの木の根が張っています。

    整備された神社とは異なり、やや舗装された山道です。(登山家からすれば生ぬるいと叱られるかもしれませんが…)

    道幅が狭いので、人とすれ違うのはちょっと注意が必要かもしれません。

    左手に震生湖を眺めながら進みます。

    この日は曇天だったこともあり、写真全体は暗い印象を受けるかも知れませんが、紅葉がとても美しかったです。

    弁財天の幟が見えて来ました。

    震生湖には日常的に釣りを楽しむ人がいるので、釣りに使用するであろうツールがちらほら見受けられます。

    その他、まだ切り口の新しい木も。

    秦野市内には、自宅に薪ストーブを備えている家庭もあり、スーパーやホームセンターで薪を売られているのを見かけます。

    この木も、もしかすると薪になるのかもしれません。

    水面にのびている木も▽

    二之鳥居と参道

    参道と異なり、社殿前は石段になっています。

    ピンヒールでの参拝だったため、ここに来るまで不安定で、とてもホッとしました。(皆さんは安定性のある靴でご参拝下さいね…!)

    ▽こちらが拝殿です。

    既に色づいている鳥居外側と、まだ青い鳥居内側の紅葉が、より強く境界を意識させてくれます。

    秦野福寿弁財天の参道はこのほか、2通りあります。

    1つは、別の山道を歩いてくる裏参道。

    裏参道からの鳥居

    もう1つは、中参道…というかどうかはさておき、延々と下り坂を下ってくるルートです。

    この上から降りてきて
    社殿に向かうルート

    秦野福寿弁財天 社殿の様子

    秦野福寿弁財天社は、神職の方が常駐する神社ではありませんが、授与品は無人での授与を行っているようです。

    その他、例祭の木札もかけられていました。

    毎月7日は、開庁するようです。

    からふるな鶴も▽

    神奈川県秦野市「秦野福寿弁財天(はだのふくじゅべんざいてん)」まとめ

    当ページでは、神奈川県秦野市にある「秦野福寿弁財天(はだのふくじゅべんざいてん)」をご紹介しました。

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    神奈川県秦野市「國栄稲荷神社(くにさかえいなりじんじゃ)」参拝レポ【御朱印】

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    神奈川県秦野市にある「國栄稲荷神社(くにさかえいなりじんじゃ)」は、小田急小田原線渋沢駅のすぐそばにあります。

    ご神木のイチョウがとても美しく、通る度に気になりながらも参拝できず。

    今回ようやく参拝できたので、國栄稲荷神社の見所、御朱印、國栄稲荷神社までのアクセスをご紹介します。

    筆者プロフィール

    榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
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    國栄稲荷神社(くにさかえいなりじんじゃ)

    國栄稲荷神社の御祭神は、宇迦御魂大神、金刀比羅大神、菅原大神。

    境内の大きなイチョウは、昭和46年(1971年)に秦野市天然記念物に指定されました。

    高さ25m、幹周り約4mの大木で、樹齢約400年といわれいます。

    拝殿を背に見たご神木

    國栄稲荷神社は、養蚕農家からの信仰が厚く、2月の午の日には競馬の神事が行われていたそうです。

    道路を挟んで向かいの建物2階の窓は、元々黄色だったのか、それともご神木のイチョウに染まっているのかわかりません。

    國栄稲荷神社 御朱印

    國栄稲荷神社の御朱印は、毎月第一日曜日の朝9時-12時まで、社務所にて授かることができます

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    全部で5種類の御朱印があり、初穂料は1体300円。大判のみ500円でした。

    • 國栄稲荷神社(通常)
    • 國栄稲荷神社(大判)
    • 宇賀魂の神
    • 金比羅大臣
    • 菅原大神

    國栄稲荷神社までのアクセス

    次の通りです。

    基本情報

    〒259-1321 神奈川県秦野市曲松1丁目3-12

    最寄り駅

    小田急小田原線 渋沢駅 南口より徒歩約5分

    國栄稲荷神社の写真

    ここからは、國栄稲荷神社参拝時の様子を紹介します。

    白い鳥居ときつねの前掛け

    國栄稲荷神社には、鳥居が1つしかありません。

    稲荷神社といえば朱色の鳥居を連想しますが、稲荷だから朱!のような決まりはないようです。

    赤は神聖な色として魔除けの効果があるとされますが、白い鳥居には神聖な場所の目印としての機能があります。

    このことから、國栄稲荷神社は魔除けより浄化に特化した場所なのではないか…と推察します。

    國栄稲荷神社 目の前の歩道との境界に立っており、日々たくさんの人が行き交うのを見ているのでしょう。

    額束には「國栄稲荷」とあります。

    手水舎は自分で蛇口を捻ってお水を出すものでした。

    少し低い位置にあるので、屈んだ際に膝がポキッと鳴りました。運動不足ですねぇ…。

    手を清めたところで、お詣りです。一段高いところに拝殿があります。

    おいなりさんなので、狛犬ではなくきつねさんです。

    國栄稲荷神社のきつねさんは、目がキリッとしていて少し幼く見えます。

    きつねの朱い前掛けは、元々お地蔵様だけがかけるものでした。

    お地蔵様は、子どもを鬼や病気から護る役目を担っており、子を亡くした親が、あの世に向かった子の世話をお地蔵様に託した…という話もあります。

    これと同じように、きつねさんに願いをかける…ということで、前掛けをつけるようになったといわれています。

    拝殿の左側にはおみくじ掛け・絵馬掛けがあり、たくさんのおみくじが結ばれていました。

    たくさんのおみくじが結ばれ、縄がたゆんでいるのがわかります。

    令和の桜

    境内の裏手に、1本の木が植えられていました。

    まだ若そうなこちらの木には「令和の桜」と名札がかけられていました。

    恐らく、改元を記念して植えられたものなのでしょう。これから大きく育っていくのが楽しみですね。

    社務所

    國栄稲荷神社は、毎月第一日曜日の3時間(9-12時)しか社務所が開きません。

    そのせいか、私が参拝した際も途切れることなく参拝者が訪れました。

    特に人気なのは御朱印のようで、いただくのを待っている参拝客が境内のベンチでのんびりしていたり、近所でばったりお会いしたりと、ゆっくりした時間を楽しむことができます。

    その他

    境内にどんぐりが落ちていました。何処からかと探したところ、こちらの木のようです。

    拝殿の左手に生えている木ですが、落ち葉が目立つ中、青々と空に伸びる様子に、私も元気をもらいました。

    どんぐりとご神木
    撮影中もパラパラ落ちていたイチョウの葉
    國栄稲荷神社のはす向かいには交番
    ご神木の注連縄がハートマーク

    國栄稲荷神社 周辺スナップ

    國栄稲荷神社 周辺をご紹介します。

    國栄稲荷神社へ向かうには、渋沢駅南口からです。

    渋沢駅南口のバス乗り場周辺の雰囲気が気に入っています。

    小田急小田原線 渋沢駅南口
    停車中の神奈中バス
    路線図
    秦野市内はコミュニティバスも運行中
    小庭
    夜はクリスマスに限らずライトアップされる

    はじめの曲がり角を右に曲がると國栄稲荷神社の裏側にある公園「曲松いちょう公園」に出ます。

    余談ですが、角のワインバーCalva(カルバ)は、ひとりでもフラッと入りやすく、美味しいワインが飲めるのでオススメです。

    公園入り口です。

    幼児向けの遊具が設置されており、平日の夕方に小学生や親子をよく見かけます。

    だれかの忘れ物

    目の前の通り沿いに踏切があります。

    こちらは表側、静岡中央銀行(渋沢支店)の裏通りです。

    目の前の建物を取り壊している最中だったため、重機が入っていました。

    鳥居は、神聖な境内と俗世の境界といわれますが、本当に空気の流れが異なるよなぁと感じます。

    神奈川県秦野市「國栄稲荷神社(くにさかえいなりじんじゃ)」まとめ

    当ページでは、神奈川県秦野市「國栄稲荷神社(くにさかえいなりじんじゃ)」をご紹介しました。

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    平塚八幡宮 開運八社詣りレポ【御朱印】

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    先月、今月と2度お詣りした平塚八幡宮

    今回のお詣りで「開運八社詣」に挑戦したので、当ページでは、平塚八幡宮の開運八社詣の概要、八社すべて参拝した時の様子、全てのお詣りが終わるといただける品もご紹介します。

    筆者プロフィール

    榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
    やぎ座のO型。
    榊原行政書士事務所 代表を務めるかたわら、日常の疑問・悩みに効く情報を発信しています。趣味は、写真を撮ること、神社巡り。

    平塚八幡宮 開運八社詣とは

    平塚八幡宮の中には、平塚八幡宮のほか、7社が祀られています。

    これら全てお社近くに御朱印スタンプが設置されているので、専用の用紙に自分で押して集め、全て集まると記念品を授かることができます。

    平塚八幡宮 八社
    1. 平塚八幡宮
    2. 若宮社
    3. 神明社
    4. 諏訪社
    5. 大鷲社
    6. 太子社
    7. 鶴峯山稲荷社
    8. 平塚弁財天社

    平塚八幡宮八社詣りの用紙は社務所で

    平塚八幡宮 開運八社詣りの用紙は、社務所にていただくことができます。

    直書きの御朱印をお願いした際、「少し時間がかかるのでその間にこちらを」という形でいただきました。

    前回、菊まつり限定(書置き)の御朱印をいただいた際にはこうした声かけはなかったので、八社詣り希望の方は、自分から声をかけましょう。

    開運八社詣り

    平塚八幡宮にある八社は、次の通りです。

    平塚八幡宮 八社
    1. 平塚八幡宮
    2. 若宮社
    3. 神明社
    4. 諏訪社
    5. 大鷲社
    6. 太子社
    7. 鶴峯山稲荷社
    8. 平塚弁財天社

    さっそく一社ずつお詣りしていきます。

    1.平塚八幡宮

    平塚八幡宮の御祭神は、応神天皇、神功皇后、武内宿禰(たけのうちのすくね)の三柱です。

    平塚八幡宮については、別の記事にてもう少し詳しく紹介していますので、気になる方はご覧ください。

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    2.若宮社

    若宮社の御祭神は、仁徳天皇です。

    子育・子どもの守り神といわれ、お子さんを思う親誤算の祈りを聞き届けてきたのだと思います。

    3.神明社

    神明神社の御祭神は、天照大御神、事代主神(ことしろぬしのかみ)、徳川家康公です。

    末社三社のうち、神明社のみパイロンが置かれていたことから、改修作業が行われていたのかもしれません。それだけ長い間をこちらで過ごし、たくさんの人々の祈りを聞き届けてきたのかと、見た事のない人々の暮らしに思いを馳せてしまいます。

    4.諏訪社

    諏訪社の御祭神は建御名方神(たけみなたかた)です。

    開運・交通安全の神様とされています。

    5.大鷲社

    大鷲社の隣には、エノキ・タブノキの連理木があります。

    連理木は、2本の樹木の枝が癒着したものをいい、自然界では珍しくない現象です。

    2つの木の枝が1つとなり、木目(理)が通じた様子から、良縁成就、夫婦和合の象徴として信仰の対象となります。

    平塚八幡宮公式サイトにも表記のない末社で、そばに建てられた看板の日付も「令和4年」とあるため、それまで別々に立っていたエノキとエブノキの結合に気づいたのがこのタイミングだったものと思われます。

    この縁を大切にし、天下泰平、悪疫退散の祈りを込め、この連理木の根本に大鷲社をお祀りした、と説明書きがありました。

    6.太子社

    太子堂(太子社)は、聖徳太子が祀られています。

    建築土木の守り神、殖産・学問の神とありますが、平塚八幡宮とのご縁は謎です。

    7.鶴峯山稲荷社

    稲荷山稲荷社は、平塚八幡宮の大鳥居をくぐってすぐ右手にあります。

    ご祭神は宇迦之御魂大神で、平成28年に同市内八坂神社境内の川余稲荷より分霊したそうです。

    ちなみに、「鶴峯山」は平塚八幡宮の古称です。

    8.平塚弁財天社

    平塚弁財天社は、平成23年 東日本大震災の年に創建されました。

    御祭神は市杵嶋姫命(いちきしまひめ)とも、弁財天とも呼ばれる神様で、芸能、美容、財福の神として尊崇を集めています。

    弁財天社は、西御池に設置されており、一の鳥居から真っ直ぐに進むと見えない位置でもあります。

    お詣りの際はぜひ、西参道側も歩いてみて下さいね。

    八社詣り 記念品

    無事に全てのお社をお詣りすると、記念品をいただくことができました。

    いろんな兎と午(恐らく神馬)が描かれたポストカードでした。

    他の方の投稿を見ていると、記念品は統一されていないようです。

    八社詣り専用紙も今年の干支「卯」をモチーフにしているため、来年からは辰になるのかもしれませんね。

    平塚八幡宮 開運八社詣り まとめ

    当ページでは、平塚八幡宮の開運八社詣りをご紹介しました。

    ワタクシゴトではありますが、この日、生まれて初めて鳩の糞を落とされました。

    しかも、全部で5つも…!

    「運がついている」と言われ、そうかもなぁと思っていたところ、この数時間後に交通事故に遭いました。(神社とは全く関係のない場所です。)

    誰もケガをせず、相手に大きなご迷惑をおかけすることもなく済んだので、本当についていたのかもしれません。

    ご参拝はくれぐれもご安全に!

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    神奈川県座間市「座間神社(ざまじんじゃ)」参拝レポ【御朱印】

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    神奈川県座間市にある「座間神社(ざまじんじゃ)」には、ペットのための神社「伊奴寝子社(いぬねこしゃ)」があります。

    当ページでは「座間神社(ざまじんじゃ)」の見所、御朱印、座間神社までのアクセスをご紹介します。

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    筆者プロフィール

    榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
    やぎ座のO型。
    榊原行政書士事務所 代表を務めるかたわら、日常の疑問・悩みに効く情報を発信しています。趣味は、写真を撮ること、神社巡り。

    座間神社(ざまじんじゃ)

    座間神社の創建時期は不明ですが、欽明天皇の御代(539-571年)または正和2年(1313年)の2つが濃厚なようです。

    現在の座閒 古名(坐摩郷)に悪疫が流行した際、長野県に本社のある飯鋼権現を祀ったのが起源とされています。

    明治時代になると、神仏分離のために飯鋼権現と同じ防火の神である日本武尊を祭神にし、今に至ります。。

    座間神社 御祭神
    • 日本武尊(やまとたけるのみこと)

    境内社

    座間神社の境内には、次の境内社(寄宮)があります。

    • 天神社(菅原道真)…学業成就、入試合格
    • 蚕神社(保食神)…子授成就
    • 明王社(大日靈貴尊)…家内安全、病気平癒
    • 浅間社(木花開耶姫尊)…夫婦円満、良縁成就、商売繁盛
    • 山王社(大山祗神)…五穀豊穣
    • 道神社(道祖神/猿田彦神)…交通安全、旅行安全

    座間神社 御朱印

    座間神社の御朱印は、社務所にていただけます。

    いただける御朱印は、「座間神社」「伊奴寝子社」の2種類で、座間神社には限定の御朱印があるようでした。

    初穂料は、各300円です。※令和5年(2023年12月時点)

    私は、座間神社と伊奴寝子社の御朱印をいただきました。いずれも直書きです。

    座間神社までのアクセス

    次の通りです。

    基本情報

    住所:〒252-0027 神奈川県座間市座閒1-3437
    電話:046-251-0245(代)
    FAX:046-256-7731

    最寄り駅

    JR相模線 相武台下駅から徒歩約5分
    小田急線 相武台前駅から神奈中バス「座閒」から徒歩2分

    座間神社 参拝レポ

    ここからは、私の参拝時の様子をお送りします。

    看板に導かれるままに

    運転中、下記の看板が目に入りました。

    これを見て「座閒に神社なんてあったっけ…?」と、大変失礼な思念を抱いた筆者。

    その足で看板が示す方へと車を進めます。

    レトロな街並みを楽しみつつ、看板に従って進みます。無事に近所まで辿り着きました。

    一之鳥居

    こちらが座間神社 一之鳥居です。

    ここに至るまで一切ナビに頼る必要がなかったので、これから参拝される人も、看板さえ見落とさなければ迷わず辿り着けるかと思います。

    座間神社の狛犬は、渋い色味をしています。

    参道に民家

    一之鳥居から二之鳥居までの参道脇には、民家が並んでいます。

    隣の果樹は黄色く見える
    二之鳥居

    座閒の街並みも相まってか、鳥居が風景に溶け込んでおり、この辺りの人から愛される神社なのかなぁ等と考え考え、歩を進めます。

    帰りたくないわんちゃん

    二之鳥居-三之鳥居の間に、実に可愛らしい光景が。

    真っ白な二ノ鳥居

    鳥居の向こう側にご注目。

    恐らく、まだお家に帰りたくないわんちゃんと飼主さんの攻防だと思われますが、あまりに微笑ましく、しばらく眺めてしまいました。

    声をかけると近所の方で、お散歩が好きすぎて困るとのこと。
    私が声をかけるとスッ…と立ち上がり、お家に帰っていきました。

    石段の途中にあるのが三之鳥居です。

    三之鳥居前には、1本行動を挟んでいます。

    この行動の二ノ鳥居側にも社務所があります。

    座間神社はひな祭りに、石段いっぱいにひな人形を飾るようなので、その時にこちらを使用するのかもしれませんね。

    実家のような拝殿

    三之鳥居をくぐり、石段をあがります。

    昇りきる少し前から、徐々に拝殿が見えてきて、もうちょっと、あとすこし…と楽しみながら昇ることができました。

    お待ちかねの拝殿です。…が、先に手水舎で手を清めます。

    手水舎の後ろには、結びの神として、縁結びの💗マーク。

    たくさんの人が縁を結びたいと祈ってきたことがわかります。

    その隣には、夫婦椹が2本仲良く立っていました。

    座間神社を訪れる人の多くが結婚成就などを祈念されるため、夫婦円満の象徴ともなっているそうです。

    座間神社 鐘楼

    手水舎の向かい側には、鐘楼があります。

    鐘楼のある神社というと、平塚の前鳥神社を思い浮かべましたが、年末には鐘の音が聞こえるのかもしれません。

    念願の伊奴寝子社

    参道で座間神社のことを調べた際、最も興味をもったのが伊奴寝子社でした。

    ペット用の神社なんて初めて!と高揚し、ぜひとも参拝をと思ったのですが、ちょうどご祈祷が執り行われているところでしたので、お詣りできず。

    ご祈祷の邪魔にならぬよう、ちょっと後ろから手を合わせてきました。

    ご祈祷の邪魔をしないよう、伊奴寝子社のギリギリ近くで撮影した1枚△

    伊奴寝子社は、拝殿の斜め裏あたりにあるため、いったん境内を出て歩かなくてはなりません。

    座間神社の境内を出るところに銀杏が立っていたのですが、紅葉をはじめたばかりだったのか、緑色から黄色に変わる貴重な葉を見る事ができました。

    紅葉は、葉先(淵の部分)から始まるんですね。

    神奈川県座間市「座間神社(ざまじんじゃ)」まとめ

    当ページでは、神奈川県座間市「座間神社」をご紹介しました。

    伊奴寝子社を参拝するため、ペット同伴での参拝OKですし、ご祈祷の際は、しっかりペットの名前を呼んでくれます。

    今度はうちの子と参拝かなぁ。

    神奈川県大和市「深見神社(ふかみじんじゃ)」参拝レポ【御朱印】

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    深見神社は、神奈川県大和市深見にある神社で、延喜式内社13社の一社です。

    延喜式内社十三社
    1.神奈川県足柄上郡松田町「寒田神社(さむたじんじゃ)」
    2.神奈川県中郡「川匂神社(かわわじんじゃ)」
    3.神奈川県平塚市「前鳥神社(さきとりじんじゃ)」
    4.神奈川県伊勢原市「高部屋神社(たかへやじんじゃ)」
    5.神奈川県伊勢原市「比々多神社(ひびたじんじゃ)」
    6.神奈川県伊勢原市「大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)」
    7.神奈川県厚木市「小野神社(おのじんじゃ)」
    8.神奈川県藤沢市「大庭神社(おおばじんじゃ)」
    9.神奈川県大和市「深見神社(ふかみじんじゃ)」
    10.神奈川県藤沢市「宇都母知神社(うつもちじんじゃ)」
    11.神奈川県高座郡「寒川神社(さむかわじんじゃ)」
    12.神奈川県海老名市「有鹿神社(ありかじんじゃ)」
    13.神奈川県相模原市「石楯尾神社(いはたておじんじゃ)」

    当ページでは、神奈川県大和市にある「深見神社(ふかみじんじゃ)」の見所、御朱印、深見神社までのアクセスをご紹介します。

    筆者プロフィール

    榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
    やぎ座のO型。
    榊原行政書士事務所 代表を務めるかたわら、日常の疑問・悩みに効く情報を発信しています。趣味は、写真を撮ること、神社巡り。

    深見神社(ふかみじんじゃ)

    深見神社の総研時期は不明ですが、総国風土記によれば雄略天皇22年(478年)。なんと1500年前です…!

    明治9年に火災により、社殿工作物等をことごとく消失した後、昭和17年に現在の社殿が再建されました。

    深見神社 主祭神
    • 闇龗神(くらおかみのかみ)
    • 武甕槌神(たけみかづちのかみ)
    • 建御名方神(たけみなかたのかみ)

    一説では、かつて相模湾はこの辺りまで深く入り込んでおり、船・筏(いかだ)による交通が盛んだったといわれています。このことから、深見神社の深見は「深海」「深水」から…とも。

    深見神社 御朱印

    深見神社の御朱印は、社務所にていただくことができます。

    直書きにて、初穂料は300円でした。

    深見神社までのアクセス

    次の通りです。

    基本情報

    住所:〒242-0011 神奈川県大和市深見3367
    電話:046-21-2539

    最寄り駅

    小田急線 大和駅 東出口より徒歩約15分
    相鉄線 大和駅 東出口より徒歩約15分

    深見神社 参拝レポ

    ここからは、参拝時の様子をお伝えします。

    明神と両部

    深見神社には、「明神鳥居」「両部鳥居」、西参道に1つと、計3つの鳥居があります。

    今回は明神鳥居からの参拝でした。

    西参道入り口の鳥居と狛犬
    明神鳥居

    明神鳥居は、西参道を抜ける平坦な参道ですが、両部鳥居は、相鉄線沿いから石段を登ります。

    両部鳥居

    ハイテクな手水舎

    さっそく境内です。

    境内と参道との境界を抜けると、すぐ左手に手水舎があります。

    さぁ、手を清めるぞと思ったら、自動で水が出ました…!

    ここでようやく「足形の上に立つと手水が自動で出ます」の注意書きに気がつきます。

    足形▽

    足形の上に立つと、竹筒の2箇所から水がちょろちょろと流れ出ます。

    色々な神社へお詣りしてきましたが、この手水システムは初めてで感動してしまいました。

    拝殿

    手を清めたら、さっそく参拝です。

    明神鳥居の脇にあった看板の通り、深見神社ではさまざまなご祈祷が行われています。

    これだけたくさんの人々の幸せを祈ってきた拝殿に思いを馳せた後、境内社にもお詣りです。

    御倉稲荷神社(おくら稲荷)

    深見神社の境内には、摂社・末社が3社あります。

    御倉稲荷神社には、倉稲魂神(うかのみたま)が祀られていますが、平成24年(2012年)までは、現在は本殿に祀られている闇龗神(くらおかみ)も祀られていました。

    靖国社(厚木空神社)

    昭和19年(1944年)厚木海軍飛行場の敷地内に「厚木空神社」として創始された靖国社ですが、終戦後に廃祀が命じられ、こちらに移されました。

    今回、靖国社を撮影し損じたようなので、御倉稲荷神社と靖国社の間にあるミニマムな手水舎と盆栽の写真を置いておきます(次こそは…!)

    深見神社のハルニレ(なんじゃもんじゃの木)

    靖国社の手前に、大きな木が植わっています。

    大和市の天然記念物にも指定されているこちらは、かながわの名木100選にも選ばれています。

    ちょうど落葉の時期で、立派な枝振りがよく見えました。

    ハルニレは、山地で見かけることが多い木なので、昔は相当珍しいとされ、「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれていたそうです。

    現在の深見神社には、立派な木が多いので、ハルニレだけが突出して…ということはありませんが、それでも存在感のある木でした。

    神奈川県大和市「深見神社(ふかみじんじゃ)」まとめ

    今回は、神奈川県大和市「深見神社」をご紹介しました。