無人区 Vol.4 | 春だけが訪れる場所

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花びらは、誰に見られなくても咲く

 歩道に貼りついた花びら一枚。灰色の車体に、そっと舞い降りた桃色の印。風が止まって、春だけが残っていた。

誰にも読まれない言葉が、風雨に晒されてまだ残っていた。
静けさに吸い込まれるように、一片の花びらがとどまった。

 廃墟になった道端に、落書きがひとつ。かつての警告は誰にも届かず、赤いスプレーの文字だけがいまもなお、誰かに訴えかけようとしていた。

記憶の上に、誰かの名前が重ねられていく。

 傾いた看板、朽ちた門、つたう蔦の緑は新しくても、構造物はもう、呼吸していない。

閉ざされた先にあるのは、もう役目を終えた空間。

けれど、ふと見上げると、桜は迷いなく咲いていた。

命と命をつなぐ線の上、咲いてしまった春。

電線の上に浮かぶ薄桃色の雲。鉄に絡む柔らかな命。

地面には、咲き終えた椿の花びら。けれど散ったあとも、そこには模様があり、色があり、誰かが見つけるまではきっとまだ、咲いているのだと思う。

誰にも見られずとも、花は精一杯に開こうとする。
散ったあとも、地上に模様を描き残す。

道ばたで見つけたテントウムシは、小さな花にしがみついていた。

小さな重力の中で、一匹の命がゆっくり進む。

季節は巡る。無人の場所にも、ちゃんと春は来る。

足跡のない道を、春だけが歩いていく。

それがこの地の、唯一の、変わらぬ約束。