実家に行ってきた【写真】

当サイトの一部に広告を含みます。

先日、実家を訪れた。当ページでは、この際の様子を写真でお送りする。

完成した福山城

この場所へ足を運ぶのは約6年ぶりのことだが、最寄りの新幹線駅を通過したことは何度かあった。

以前、車窓から見た際には幕がかかっていた城も、工事は終了したようだ。

福山城とは

福山城は、広島県福山市丸の内1丁目にあった日本の城で、城跡地は「久松城(ひさまつじょう)」「葦陽城(いようじょう)」と呼ばれる。

2018年5月撮影

平成14年(2006年)2月には、日本100名城にも選定され、天守閣部分に景観重要構造物の指定を受けている。

2018年5月撮影

福山城の城主は水野勝成公で、江戸時代最後の名城としてたたえられることもある。

勝成公後の城主は、水野、松平、阿部へと続き、1873年の廃城令に伴い、廃城となった。

水野家
水野勝成
1619年(元和5年)~1639年(寛永16年)
1564年(永禄7年)~1651年(慶安4年)
松平家
松平忠雅
1700年(元禄13年)~1710年(宝永7年)
1683年(天和3年)~1746年(延亨3年)
阿部家
阿部正邦
1710年(宝永7年)~1715年(正徳5年)
1658年(万治元年)~1715年(正徳5年)
出典:福山藩主について-水野家- 福山城博物館 (fukuyamajo.jp)

2018年5月撮影

福山城 基本情報

住所〒720-0061
広島県福山市丸之内1丁目8
電話番号084-922-2117
FAX084-922-2126
開館時間9:00-17:00
月曜日休館(祝日の場合は翌日)

2018年5月撮影

今回は福山城に足を運ぶ余裕がなく、近くから見上げるにとどまった。

実家の様子

ここからは筆者の実家の様子を写真でお送りする。

勉強机

筆者に自室と呼べるものはなかったが、勉強机はあった。

祖父の友人の孫が使用していた「おさがり」を譲り受けたもので、未使用時はパタンと閉めて収容できるものだった。

写真左上の星形の蛍光シールは筆者が貼ったもの。蓄光タイプなので、夜間の消灯後、一定時間ぼんやりと光ったりする。

一部へこんでいる部分は記憶にないが、いまだここにあるとは思いがけず、ほんのりとうれしくなた。

遺伝した多肉好きと色々な植物

上京後、神奈川県藤沢市にある紅波園(こうはえん)のオーナーから、「多肉好きは遺伝」と教わった。

両親は植物に無関心だったため、もし遺伝したのなら祖母からだろう。

祖母自身は、加齢と負傷によりあまり手入れができていないことを嘆いたが、久しぶりに見た庭や畑、鉢植えで元気に過ごす植物も多い。

たまにはこんなこともあろう

アロエらしき蜂には、新芽が出ていた。

明け方まで降った雨を携えた花たち。

記憶の中で咲いていた祖母のツツジはピンクだったので、別の個体か、筆者の記憶違いだろう。

アロエが花芽をつけていた。

冬場は縁側に取り込むのだろう。鉢植えに行儀よく植わっている。

庭の草花をキッチンに活ける週間は、筆者の幼少から続くものだ。

玄関先にも活けられていた。

増えた家族

今回、初めて会った子がいた。

親族の1人が飼い始めたが、面倒を見られなくなり、祖母に預けて行ったと説明を受けた。

本説明に「へぇ」と声を発したのみだが、学生時代に猫を拾ってきた筆者に「うちで犬猫は飼わない」と断固として譲らなかったことを、相手は覚えていたからだろうかと思った。

日ごろ、祖母たちの寵愛を一身に受けているのだろう。

呼ぶ前から筆者の膝に乗り、腕を枕に寝そべったうえ、撫でるとすぐに眠りについた。ただ、カメラは嫌いらしい。

レンズを向けた途端、この顔である

実家に行ってきた【写真】まとめ

当ページでは、筆者の実家来訪の様子をお伝えしました。

関連記事

平成弐年式、やぎ座のO型。 ふだんは行政書士事務所の代表、根暗をやっています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です