好きの本質はどこにあるのか

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現住所に越してきて、4度目の春を迎えている。

「住めば都」の言葉に頷ける部分と、そうでない部分がある。物事はいつも立体で、賛否や表裏が付きまとう。

筆者の趣味は、写真を撮ること。本当にうまい人は、自らの写真で立体を、時間の経過と共に表現したりする。

きっと、彼らは人間を辞めているものと推察する。筆者はまだ、人間だ。

去年だったろうか。ファミリーマートにて、期間限定で発売された「ロイヤルミルクティーフラッペ」が気に入り、見つける度に好んで買う。

昨日、今日と連日購入し、喜んで飲んだ。

そうして、考える。筆者は、期間限定でなくても好き好み、この商品を購入するだろうか。

これは、写真にも言えることだ。

筆者は植物を好んで撮るが、果たして、その花や植物の命が永遠だとして、筆者は同様にカメラを向けるのか。

「好き」とは、何とも不確定で測りづらいものだが、それが良い。