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タイトルで察してほしい。筆者、不毛なことを考える。
我が輩は愚者である
折に触れて口にする言葉がある。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
オットー・フォン・ビスマルクの格言
言うまでもないが、筆者は前者だ。気になることはすぐに実践、検証したい。すぐが無理なら、先駆者に「どうでした?」と聞いてまわり、インターネットで検索し、書籍を読み、更に気持ちは高揚する。賛否両論どちらの意見にも触れるよう心がけるが、結局、何を見聞きしようと自分で経験するまで熱は下がらない。
令和3年(2021年)6月、行政書士事務所を開業するときもそうだった。
激動の2年間、不動の存在
開業から数ヶ月、毎日が忙しなかった。開業そのものが1つのゴールだった筆者にとり、その先の経営はよくわからなかった。だから本を読み、セミナーに参加し、周りに教示を乞うた。今の自分からすると、浅はかで恥ずかしい。そして、数年後も生きていれば同じ感想を抱くだろう。筆者はいつだって浅はかで恥ずかしい存在なのだ。
けれど、そんな忙しない毎日が止まった。それまで出会った誰とも違う出会いに驚き、頭の中はその人でいっぱいになった。
ただ、身体は別だ。開業前の自分からは考えられない頻度で知らない場所、知らない人、知らないことに直面した。大袈裟に聞こえるだろうが、30年近くかけて出会った人数と、開業から2年間に会った人の数は、ほぼ同数だと思う。もちろん、互いの記憶に残る・残らないは別として。
他者との出会いは、自分がどのような人間か考え、気づくきっかけとなった。筆者は、それまでの自分が考えていたような人間ではなく、そのことに喜んだり悲しんだりしながら日々を送った。このように多感な時期の端々にはいつも、その人がいた。実際にいたわけではなく、単に筆者が相手のことを考えていたに過ぎないが、私はいつも、その人の話を聞きたかった。
自信のなさと比例して
開業から2年と少し。筆者は様々な席から離席した。会社という枠組みから飛び出たことで、糸が切れた凧のように彷徨い、時には路肩にうずくまった。どこでもいいから自分の居場所がほしかった。そうしてタッチし続けた先は、いずれも場違いだと気づいたのだ。そして、その人の近くにも居場所などなかった。
約2年、緩やかでも接点はあったはずだが、最後に話をしたのはもっと、遠い昔のようだ。それどころか、私たちは1度もきちんと向き合ったことはなかったのかもしれない。
だから、だろうか。
出会う場やタイミングが違ったなら、話をできたのではないか。そんなことを考える。その度に「それはない」と結論づけ、下らない妄想だと蓋をする。人生において、同じ瞬間は2度とない。あの瞬間だから築いた関係であり、崩れた関係だ。この先、もう1度交わることがあるとすれば、それは過去をなぞることとは異なり、新たな”何か”である。少なくとも、筆者はそう考えている。
悔いは残る
人生について「悔いのないように」と口にする人がいる。過去には筆者も、似たようなことを考え、言葉にしたことがあったかもしれない。けれど、悔いは残るだろう。34歳の私はそう思っている。厳密に言えば、残るのは悔いではなく名残惜しさ。一切惜しむもののない人生より、1つ、2つ、別れを惜しみながら逝きたいものである。ただし、下らない悔いは嫌だ。
筆者は、自分が思うような人間ではなかった。そして、相手もまた、筆者が思うような人間ではなかった。だからこそ、もっと知りたかったのだろうし、話を聞きたかった。この先に会う人に同様の感情を抱くことがあったのなら、筆者は好機を逃がさぬことに全力を注ぐだろう。なぜなら、例のその人との会話はおろか、顔も思い出せやしないのに、話を聞きたかったという思いは、今でも時々首をもたげるからだ。あぁ。筆者はまたも経験に学んだ立派な愚者である。
特定人の話を記事にするのはいかがなものかと思うが、いずれ忘れるだろう。というより、既に失念していることも多く、ご都合主義の記憶補塡(または改ざん)が行われているように思う。事実は1つ、解釈は人の数だけあるのだから仕方がないのだが。
だから、朧でも覚えているうちに書いておきたかったんだ。付き合ってくれてありがとう。そして、これを読んでいるあなたに、話をしたい相手がいるのなら、できるうちに話しておくと良い。遅かれはやかれ、その人は目の前からいなくなる。
最後にひとつだけ。
人生は、失うものより得るものの方が圧倒的に多い。
本件において筆者が得たのは、さて、何だろうなぁ。