神奈川県小田原市「松原神社(まつばらじんじゃ)」参拝レポ【御朱印】

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筆者プロフィール

松原神社

松原神社の創建時期は不明ですが、かつては鶴の森明神、松原大明神等と呼ばれていました。

北条氏、稲葉氏、大久保氏等から崇敬され、小田原宿の総鎮守とされました。

明治2年(1869年)に松原神社と改称し、今に至ります。

松原神社 御祭神
  • 日本武命(やまとたけるのみこと)
  • 素戔嗚命(すさのおのみこと)
  • 宇迦之魂命(うかのみたまのみこと)

松原神社の境内社…住吉神社、鹿島神社、手置神社

松原神社 祭礼
  • 1月1日 元旦祭
  • 1月14日 小祭
  • 2月3日 節分祭
  • 2月不定期 祈年祭
  • 5月3日 例大祭
  • 5月4日 例大祭(神幸祭)
  • 5月5日 例大祭(神幸祭)
  • 9月14日 小祭
  • 11月不定期 新嘗祭

5月に小田原北条五代祭りが行われるため、これに併せ、松原神社でも例大祭を行います。

このとき、近隣の大稲荷神社、山王神社、居神神社と統合開催されるため、各社の例祭と認識しないまま参加する観光客も多いようです。

松原神社 御朱印

松原神社の御朱印は、社務所にて授かることが出来ます。

書置きにて、初穂料は300円でした。

松原神社までのアクセス

次の通りです。

基本情報

住所:〒250-0012 神奈川県小田原市本町2丁目10-16
電話;0465-22-2672

最寄り駅

JR小田原駅から徒歩約15分

松原神社 スナップ

ここからは、筆者参拝時の様子をお伝えします。

入口から圧巻の景色

大稲荷神社を訪れた際、初めて鬼門除け神社の存在を知った筆者。

小田原城の鬼門除けとして君臨する三社のうちの一社がこの松原神社です。

神社の外には古い街並みが広がっており、かなり生活感がにじみ出ているのに、ここだけ明らかに異質な空気が漂っています。

入口を過ぎるとすぐ、橋が架かっています。名前は不明ですが、この下を池の水が走っています。

右手には趣のある池があり、どことなく亀の甲羅を連想するような佇まいです。

吉兆の大亀を彷彿とさせる岩

一之鳥居、二之鳥居に境内の松が陰を落とし、とてつもなく幻想的な絵面になっています。

社号碑

何だかこのまま吸い込まれそうですよね。

手水舎

左手に社務所を眺めつつ、まずは参拝です。

真っ直ぐ進むと右手に手水舎があります。

手水舎

参拝時、強風が吹き荒れていましたが、どっしり構えた手水桶に何となく安堵感を覚えました。

手水桶

無事に手を清めたところで、二之鳥居です。

4体の狛犬

松原神社には、4体の狛犬がいました。

拝殿前 狛犬(右)
拝殿前 狛犬(左)
一之鳥居~二之鳥居 右の狛犬
一之鳥居~二之鳥居 左の狛犬

それぞれ表情が異なっており、じっと眺めていると愛着が湧いてきます。

大漁記念の万祝

拝殿の脇には、「万祝」という晴れ着があります。

万祝(まいわい)

万祝は、漁師が大漁祈願に参拝する際に着用していた晴れ着で、「大漁」「小田原」の文字が眩しいですね。

境内社

松原神社の境内社は、住吉神社、鹿島神社、手置神社、稲荷神社、八幡神社とされていますが、神奈川県神社庁には、前三社の記載しかありません。(神社庁 松原神社ページ

いったい何を信じれば…

境内のお社ひとつずつにお詣りしたのですが、朱色の鳥居が稲荷神社なのだろう…ということしかわかりませんでした。

境内社
境内社 恐らく稲荷神社
境内社
境内社
神輿?

松原神社 拝殿

松原神社 拝殿です。

松原神社 拝殿

おずおずと参拝に向かいます。

拝殿

鬼門除け、小田原の総鎮守であることを抜きにしても、松原神社の空気はちょっと異質でした。

それは、こわい意味ではなくて、自然と少しだけ背筋がのびるような感覚です。

神額

拝殿建物に対して、神額は真新しく見えましたが、詳細は不明です。

拝殿の裏手も歩けるようだったので、御朱印をいただいた後は、裏手からおいとましました。

梅の木

神奈川県小田原市「松原神社」まとめ

当ページでは、神奈川県小田原市の総鎮守「松原神社」をご紹介しました。

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神奈川県藤沢市「宇都母知神社(うつもちじんじゃ)」参拝レポ【御朱印】

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神奈川県藤沢市にちょっと変わった名前の神社があります。

その名も「宇都母知神社(うつもちじんじゃ)」。

宇都母知神社のある地名の由来として、宇都母知神社の宇豆毛遅(うずもち)が訛り「打戻(うちもどり)」になった説があります。

当ページでは、この宇都母知神社の見所、御朱印、宇都母知神社までのアクセス、筆者参拝時の様子をお伝えします。

筆者プロフィール

榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
榊原行政書士事務所 代表行政書士
やぎ座のO型。趣味は写真を撮ること、神社をめぐること。

宇都母知神社(うつもちじんじゃ)

宇都母知神社は、平安時代中期には既にあったといわれる相模國十三社のうちの1社とされています。

宇都母知神社 御祭神
  • 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
  • 若日下部命(わかくさかべのみこと)
  • 稚産霊神(わくむすびのかみ)

宇都母知神社 境内社…菅原神社、稲荷神社

宇都母知神社 祭礼
  • 1月1日 歳旦祭
  • 9月15日 例大祭
  • 11月15日前の日曜日 七五三
  • 11月最後の日曜日 新嘗祭(収穫祭)
  • 12月30日 大祓

宇都母知神社 御朱印

宇都母知神社神社の御朱印は、参集殿の一角に位置する社務所にて授かることができます。

通常のものは直書きで、月替わりのものは書置きのみ。いずれも初穂料は500円です。

オリジナルの御朱印帳もありました。

月替わり、限定の御朱印には、宇都母知神社神社の神額を書いた神祇伯資顕王じんぎはくすけあきおうの文字をそのまま採用しています。

拝殿内は撮影禁止となっていますが、本当に同じ文字で驚きと感動とで、筆者そわそわしました。

宇都母知神社までのアクセス

次の通りです。

基本情報

住所:〒252-0824 神奈川県藤沢市打戻2662
電話:0466-48-9633
FAX:0466-48-9633

最寄り駅

小田急江ノ島線、相鉄いずみ野線、横浜市営地下鉄ブルーライン 湘南台駅からバスの利用が便利です。

宇都母知神社 公式サイト(こちら

宇都母知神社 スナップ

ここからは、筆者参拝時の様子をお伝えします。

ご神木と風致林

宇都母知神社のご神木はシイの木です。

宇都母知神社 ご神木

宇都母知神社の境内は、その全域を風致林指定を受けていて、昭和49年(1974年)には自然環境保全地域にも指定されました。

風致林とは、名所や旧跡など景観を保存するために指定される森林のことをいいます。
逆に言えば、その景観が「良い」と感じる材料が森林である場合に指定されるエリアでもあります。

いざ境内

宇都母知神社に鳥居は1つ。狛犬が出迎えてくれます。

左手に石碑があるものの、詳細はわかりませんでした。

石碑の後ろに手水舎があります。

竹筒から流れ出る水はとても澄んでいて、手水桶の水面にたえず波紋を作っていました。

郷土資料館

向かい側には、郷土資料館があります。

この郷土資料館には、農耕具や民具等を展示し、先祖がこの地で築いた農業を末代まで伝えることを目的に運用されています。

施設維持費として、大人300円、子ども100円の見学料がかかりますが、20人以上で見学する場合には団体料金の適用があります。

また、教育普及を目的としていることから、藤沢市内の小中学校の授業での見学は、教職員の引率を条件に優遇料金での見学が可能です。

境内社 菅原神社

宇都母知神社の境内社は、菅原神社、稲荷神社です。

御祭神の菅原道真氏は、11歳で初めて漢詩を詠んだといわれています。

これは、当時からすると驚くべきことで、天才と呼ばれる所以でもありました。

宇多天皇の厚い信頼をうけ、文章博士に命じられた菅原氏は、寛平6年(894年)遣唐大使に就任。

醍醐天皇の御代には右大臣に昇進し、左大臣の藤原時平氏と政務に努めましたが、太宰府に赴任。

今でも学問・文芸の神としてその名を轟かせています。

境内社 稲荷神社

稲荷神社の総本宮は、京都府の伏見稲荷大社です。

和銅3年(711年)秦伊呂具(はたのいろぐ)が餅を的に弓を射た際、餅が白鳥に変わり山の彼方へ飛んでいったそうです。

このとき、白鳥が降りたった地は稲が豊作となり、これにあやかろうとその地に伏見稲荷大社を創建したといわれています。

稲荷神社とセットで祀られる狐は、お稲荷さんの死者であって神様ではありません。

とはいえ、神聖な動物として皆からの信仰を集めているのも事実です。

稲荷神社の脇には、小さな手水桶がありました。

地域に愛される宇都母知神社

今回の参拝で最も印象的だったのは、宮司さんと参拝者のやり取りでした。

私以外の参拝客はご高齢の女性がお一人のみで、とても親密そうに宮司さんとお話をされていました。

拝殿、境内社とお詣りしている間も話し声が聞こえていたのですが、一貫して傾聴に徹する宮司さんに胸中拍手喝采。

信仰心の厚い女性に対しても、何だか色々思うところがありましたね。

神輿殿

御朱印帳を忘れ、しかも現金が心許なかった筆者は、境内を気ままに散歩していたのですが、こちらに気づいた宮司さんから声をかけていただきました。

お陰で書置きの御朱印を授かることができたのですが、私のような参拝者も気に掛けてくれたことが嬉しかったです。

鐘楼

宇都母知神社の鐘楼は、境内外にあります。

昭和20年(1945年)太平洋戦争の物資回収によって献納され、しばらく設置されないままでしたが、昭和50年(1975年)に再建されました。

鐘楼堂から見た境内▽

社報「うつもち通信」

参拝時、宮司さんから社報をいただきました。

全8頁に及ぶ社報は、有志(恐らく氏子会員)の方々の手作りだそうで、「今回まだ3号なんですけどね」と嬉しそうに授かりました。

宇都母知神社のある辺りは、農地・水田が多く、秋になると近くを流れる小出川沿い一体に彼岸花が咲き誇ります。

神社に関する情報だけでなく、こうした周辺情報も掲載されていることから、地域一丸となって護ってきた神社なのだろうと思いました。

神奈川県藤沢市「宇都母知神社」まとめ

当ページでは、神奈川県藤沢市にある「宇都母知神社」をご紹介しました。

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神奈川県座間市「鈴鹿明神社(すずかみょうじんじゃ)」参拝レポ【御朱印】

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当ページでは、神奈川県座間市にある鈴鹿明神社(すずかみょうじんじゃ)の見所、鈴鹿明神社までのアクセス、筆者参拝時の様子をお伝えします。

筆者プロフィール

榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
榊原行政書士事務所 代表行政書士
やぎ座のO型。趣味は写真を撮ること、神社をめぐること。

鈴鹿明神社(すずかみょうじんしゃ)

鈴鹿明神社の創建時期はハッキリしていませんが、第29代欽明天皇の時代(539年-571年頃と推測)に創祀した説が濃厚だそうです。

ただ、正倉院文書という文書では、天平年間(729年-749年)に鈴鹿王という人の領地だったことで、「鈴鹿」という字名が付けられたとも考えられています。

いずれにせよ、1000年以上も昔から祀られていた点では、由緒ある神社であることに間違いなさそうです。

海老名の有鹿神社との話

海老名市上郷にある有鹿神社と争った話(有鹿と鈴鹿の神争い)があるそうで、神奈川県神社庁に掲載されていたものをざっと紹介します。

金面天皇の御代、伊勢鈴鹿から座閒に遷ってきた鈴鹿神。財宝を持ち、とても豊かな暮らしをしていたそうです。

いっぽう、相模国勝坂にいた有鹿神は、この財宝を横取りしようと企て、争いに発展します。

ここに諏訪明神・辨財天が加勢することで鈴鹿神が勝利を収め、有鹿神は上郷へと追い払われてしまいました。

これ以降、勝坂へ帰れなくなった有鹿神は仕方なく上郷に滞在することになった…そうです。

この話を鵜呑みにすると、有鹿神は”仕方なく”海老名にいることになり、何だかいたたまれない気持ちになりますが、神様なのに人間臭いところが宗教の神髄という感じがして面白いですよね。

鈴鹿明神社 御祭神
  • 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
  • 素戔嗚命(すさのおのみこと)

鈴鹿明神社の境内社:稲荷神社厳島神社

鈴鹿明神社 祭礼
  • 1月1日 元旦際
  • 2月節分 節分祭。豆まき
  • 2月17日 記念祭、春祭り
  • 6月初旬 御田植祭
  • 7月中旬日曜日 夏越大祓祭
  • 7月31日 大祭(宵闇祭)
  • 8月1日 大祭(天皇祭、神幸祭)
  • 8月28日 風神祭、風祭
  • 11月23日 新嘗祭(秋祭)
  • 12月27日 年越大祓祭
  • 12月31日 除夜祭

鈴鹿明神社 御朱印

鈴鹿明神社の御朱印は、社務所にて授かることができます。

筆者は1月2日の参拝だったため、通常版が不明なのですが…書置きにて、辰年絵柄と鈴柄立体御朱印を授かりました。

初穂料は、通常300円/その他1000円です。

鈴鹿明神社までのアクセス

次の通りです。

基本情報

住所:〒252-0029 神奈川県座間市入谷西2-46-1
電話:046-256-1122
FAX:046-253-8765

最寄り駅

小田急線 座閒駅西口より徒歩約10分
JR相模線入谷駅より 徒歩約10分

鈴鹿明神社 スナップ

ここからは、筆者参拝時の様子をお伝えします。

鳥居と提灯

小雨の降る中、三が日の参拝を敢行した筆者。外からでもわかるほど、境内には沢山の的屋が並び、参拝客がひっきりなしに行き交います。

順路を辿ろうと、一の鳥居側へまわります。

鳥居の前にて「謹賀新年」と紅白の提灯が出迎えてくれました。

社号碑

稲荷社その1

鳥居をくぐるとすぐ左手に稲荷社があります。

3体の狛犬

その脇に狛犬がおり、右側の狛犬もすぐに見つけました。

右側の狛犬の後ろに、もう一体、狛犬を見つけました。

前列の狛犬と比べ、時の流れを感じる様相ですが、左側の狛犬を見つける事は叶いませんでした。

参道脇に隙間なく並ぶ的屋の陰にいたのか、それとも、不存在なのかは定かではありません…。

道祖神

狛犬の後ろには藤棚らしきものがあり、その足下には道祖神が並んでいました。

稲荷神社その2

左手にもう1社、稲荷社がありました。

こちらには鳥居があり、紙垂がかかっています。

こちらの御祭神は宇迦之御魂神。

享保18年(1733年)稲荷神社の造立稲荷大明神の棟札があるようですが、目視では確認できませんでした。

小さなきつねさんが沢山並んでいる様子から、狐の嫁入りを想像します。

厳島神社

宝永4年(1707年)広島の厳島神社より御霊分けした弁天池内の厳島神社です。

御祭神は、弁財天女神(市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命)で、辨財天池に流れる清流は龍源院境内から湧き出る地下水。

錦鯉が悠々と泳ぐ様は、実に風流でした。

厳島神社前の桟橋を渡ると、左手に手水舎があります。

手水舎

鈴鹿明神社の手水舎は、平成14年に建立を開始し、翌年には竣工式を迎えました。

手水鉢は縦120cm×横210cm×高さ90cm。

愛知県岡崎市産の臼石をくりぬき、霧妻屋根式、銅板葺のケヤキ造りです。

お正月飾りが行儀良く据わっていた

手を清めたところで、本殿に向かいます。

神輿殿

参道の左手に神輿殿がありました。

参道を埋め尽くすような的屋ですが、神輿電の入口を避けるように建っていたので、外から中の神輿を見ることができました。

沢山の人に愛される神輿なのだろうと思いを馳せ、参道へと戻ります。

鐘楼堂

ただでさえ混み合う境内なのに、雨で皆が雨傘をさすのでなかなか進みません。

ようやく視界が開けたところで、鐘楼堂がありました。

現在の鐘楼は、昭和48年(1973年)氏子崇敬者から集めた浄財にて再興したもので、「迎神の鐘」と名付けられました。

鐘楼には、「和魂和根」と刻まれ、朝夕に撞かれます。

和魂和根とは、日本人の心を表す平和の魂は、平和をつくる根となるという意味があるそうです。

先代の鐘は昭和18年に軍命により供出しましたが、この際、写真を残し、鐘にあった銘文を残したものを基に現在の鐘を再興しました。

鈴鹿明神社 本殿

鈴鹿明神社の本殿は、平成の御大典奉祝事業とし、平成5年に竣工したものです。

総ひのき、入母屋切妻造りの社殿は、迫力があります。

こちらにも狛犬が控えていました。

お詣り直前で雨足が強まったものの、本殿内では沢山の人が祈祷を受けられ、後から後から参拝に訪れる人が途切れません。

あまり長居をすると邪魔になるかと、筆者はこのあたりでそそくさとおいとましました。

神奈川県座間市「鈴鹿明神社」まとめ

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ドンキ1万円福袋でしっかり失敗したゲーミングセット【2024】

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年明け、ドンキホーテで購入した福袋が失敗したので、当ページでは、失敗の詳細とレビューをご紹介します。

筆者プロフィール

榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
榊原行政書士事務所 代表行政書士
やぎ座のO型。趣味は写真を撮ること、神社をめぐること。

ドンキホーテ1万円福袋

早速本題ですが、筆者、ドンキホーテにて1万円(税別)の福袋を購入しました。

中身を紹介する前に、どうして福袋購入に至ったのかを聞いて下さい。

憧れのゲーミングキーボード

福袋購入の前日、某パソコンショップにてキーボードを眺めていました。

碧軸、茶軸、赤軸などなど色んなのがある

現在使用しているものに少々使いづらさを感じていることと、単純に、ゲーミングキーボードに憧れがあり、試し打ちをさせてくれると聞いて足を踏み入れた次第です。

先客が忘れた水がある…

こうして色んな物に触れることで、何となく抱いていた憧れが具体化できたものの、1店舗だけで決めていいものかと悩んだ末、保留にしました。

このとき、1番いいと思った物がRazerのOrnata V3 JP」。

テンキーがあり、タイプが軽快で、ほどよい跳ね返りがある点が気に入りましたが、店頭価格とネットで調べた価格が全く同額だったことから、これならポイント還元を受けられる店舗で購入した方が…と、保留にしたのでした。

満を持して購入

そして翌日。

仕事の合間に飲料を購入しようとドンキホーテに寄ったところ、福袋コーナーで見つけたゲーミングセット。

見ると、前日保留にしたキーボードとマウス、ノベルティがセットになっており、これはもう買うしかない!!とレジへ直行。

満を持して購入しました。

さっそく開封

仕事を終え、事務所に戻ったところで改めて記念撮影です。

福袋(厳密にはボックス)を開封すると、中には表示通り、キーボード、マウス、ノベルティのバッグが入っていました。

楽しみにしていたキーボードから開封します。

新品にしか出せない輝きに、胸が高鳴ります。慎重に中身を取り出しました。

いよいよ、通電します。

光った…!!!

ゲーミングキーボード最大の特徴であるライティングに感動したところで、1つ疑問を抱きました。

これは何だろう…?

恐らくRazerのロゴだと思われるものを中心にあしらったこのプレート。

どこに、どう設置し、どのように使うのかわからなかったため、軽率にネットで検索しました。

これが悲劇の始まりです。

しっかりミスしていた

店頭で箱に記載された商品名を入力した際、平均価格は9980円。

福袋の値段は11000円なので、欲しいキーボードは定価だけど、1020円で同じラインのマウスが買えるならお得と考え購入に至りました。

しかし、私が購入した商品はOrnata V3 X。

私が欲しかったのは、Ornata V3 JP。

商品画像の違いもそうですが、商品名ラスト「X」と「JP」で異なっています。

そして、最も異なるのが定価。Xは5980円~なのに対し、JPは9980円~。

ざっと4000円の差があるんです

ちなみに、当初の目的であったこのパーツの使い道▽

リストレフトといい、長時間タイピングしても疲れないよう、キーボードの手前側に設置するアイテムだそうです。

とりあえずマウスも開封

念願のゲーミングキーボードが、自分の凡ミスにより単なるそっくりさん(別人)だったことに絶望しつつ、マウスも開封しました。

驚くほどダサいマウスパッドと本体です。

動作確認のためいったん通電したところ、問題なくロゴ部分が光りましたが、使用中のワイヤレスマウスで十分と感じているので、そっとしまいました。

タイピング自体は気持ち良い

ここまで暗い展開をしてきてなんだけど、タイピング自体は問題ないし、手元が光るだけでこんなに楽しくなるんだと感動しています。

目当ての商品が明確すぎただけに、絶妙にかすった商品を購入した事、定価より高値なだけでなく不要なもの(マウス)まで増やしたことに対し、ショックを受けただけで、製品自体に問題はありません

購入からライトアップ、自分の失敗に気づくまでの間は本当に嬉しい気持ちで満たされていたので、この幸福な時間にお金を払ったと考えることにします。

緊急時に備え、マウスは備蓄します。

しっかり失敗したドンキ福袋【2024】まとめ

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神奈川県足柄上郡「篠窪 三嶋神社(しのくぼ みしまじんじゃ)」参拝レポ

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当ページでは、神奈川県足柄上郡大井町篠窪にある「篠窪三嶋神社」の御祭神、篠窪三嶋神社までのアクセス、筆者参拝時の様子をお伝えします。

筆者プロフィール

榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
榊原行政書士事務所 代表行政書士
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篠窪 三嶋神社(しのくぼ みしまじんじゃ)

篠窪 三嶋神社は、創建時期は不明の神社ですが、もともとは字宮地にあり、根渡神社と称して武田宿祢命を祀っていました。

天文四辛末年(1535年)に当社へ遷り、元和2年(1616年)に三島社、八幡社を当社へ合祀。

三嶋神社 御祭神
  • 事代主命(ことしろぬしのみこと)
  • 誉田別命(ほむだわけのみこと)
  • 大山祇命(おおやまつみのみこと)
  • 武内宿禰命(たけしうちのすくねのみこと)

三嶋神社 祭礼
  • 1月1日 元旦際(新年祭)
  • 4月9日に近い日曜日 例大祭
  • 12月28日 大祓

かながわの名木100選

篠窪三嶋神社付近の森は、大井町の天然記念物に指定されています。

それだけでなく、かながわの名木100選にも選出され、こちらのシイは樹齢約500年と推定されています。

木の幹は直径1mを超え、高さ20m近くあるシイも数多く残っていることから、地元の人からは「椎の木森」と親しまれています。

気の根本部分に石碑

三嶋神社までのアクセス

次の通りです。

基本情報

〒258-0011 神奈川県足柄上郡大井町篠窪908

最寄り駅

小田急線 渋沢駅から徒歩約1時間
小田急線 新松田駅から徒歩約1時間

篠窪三嶋神社 スナップ

ここからは、筆者参拝時の様子をお伝えします。

篠窪三嶋神社の鳥居は、こちらの1つのみのようです。

青銅色だったであろう鳥居の向こうに、長い石段と紙垂が見えます。

篠窪三嶋神社 参道

手すりがないため、なかなかスリルある参拝ですが、段数自体はそう多くないので一気にあがりました。

昇りきるとすぐ右手に、手水桶のようなものがあります。

水草とたくさんの銀杏の葉で満員御礼でした。

拝殿です。

篠窪三嶋神社 拝殿

創建時期は不明とされる篠窪三嶋神社ですが、社殿の様子から、長い間こちらで見守ってきたものと推察します。

左手には神楽殿がありました。

右手には、いくつかの石碑とベンチが並んでいます。

こちらにも石桶のようなものが設置されていました。

境内社に、神明社、弁天社、山王社とあったので、もしかすると、こちらに祀られているのかもしれません。

右側の道を進むと、椎之木杜へ行けるようでしたが、今回は素直に帰りました。

古い石段は幅が狭く、無意識にがに股になる筆者なのでした。

神奈川県足柄上郡「篠窪三嶋神社」まとめ

当ページでは、神奈川県足柄上郡大井町にある「篠窪三嶋神社」をご紹介しました。

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神奈川県秦野市「渋沢秋葉神社(しぶさわあきばじんじゃ)」参拝レポ

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当ページでは、神奈川県秦野市にある「渋沢秋葉神社」の概要と、渋沢秋葉神社までのアクセス、筆者参拝時の様子をお伝えします。

筆者プロフィール

榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
榊原行政書士事務所 代表行政書士
やぎ座のO型。趣味は写真を撮ること、神社をめぐること。

渋沢秋葉神社(しぶさわあきばじんじゃ)

渋沢秋葉神社は、日の神様として地域の人々から崇敬されている小さな神社です。

古昔宝暦12年(1762年)般若院権大僧都が秋葉山本宮秋葉神社に秋葉山大権現本地秘法日夜守護処を歓請し、総修大住都渋沢村吉原 源八の地に祠を建立。

昭和56年(1981年)すぐそばにある渋沢中学校新設に伴い、隣接の土地所有者 諸星好昭氏の厚意によって新境内を醸成。社殿は氏子・崇敬者の寄進にて社殿が建設されました。

渋沢秋葉神社 御祭神
火之迦具土大神(ほのかぐつちのおおかみ)

秋葉神社までのアクセス

次の通りです。

基本情報

住所:〒259-1322 神奈川県秦野市渋沢吉原1945-1

最寄り駅

小田急線 渋沢駅より徒歩約30分

秋葉神社スナップ

ここからは、筆者参拝時の写真をご紹介します。

秋葉神社表参道入口
秋葉神社 参道の様子
参道の途中に架かる秋葉橋の下
秋葉橋からの風景
秋葉橋
秋葉橋
参道の過半数は階段
下から
境内入口に伏す丸太
境内と右端は中学校の校舎

鳥居
参拝時、銀杏の葉で埋め尽くされていた
驚くほど低い鳥居と社殿
扁額
社殿の彫刻
境内を彩る銀杏の葉

神奈川県秦野市「渋沢秋葉神社」まとめ

当ページでは、渋沢秋葉神社をご紹介しました。

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神奈川県南足柄市「大雄山最乗寺(だいゆうざんさいじょうじ)」参拝レポ【御朱印】

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当ページでは、神奈川県南足柄市にある「大雄山最乗寺道了尊」の、三門から奥ノ院までご紹介します。

筆者プロフィール

榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
榊原行政書士事務所 代表行政書士
やぎ座のO型。趣味は写真を撮ること、神社をめぐること。

大雄山最乗寺(だいゆうざんさいじょうじ)

最乗寺は、応永元年(1394年)に建てられた曹洞宗のお寺で、山号は大雄山です。

地元では「道了さん」と親しまれ、余語翠巖、新井石禅、石附周行等が住職を歴任しました。

修行道場として僧堂を設置しているお寺でもあります。

大雄山最乗寺 基本情報
  • 門の数…6門
  • 天 狗…6体
  • 大黒天…2体
  • 面 積…128ヘクタール(東京ドーム27個分)
  • 杉の木…17万本
  • 石段数…708段
  • 石塔数…621基

最乗寺の御朱印

最乗寺の御朱印は、総合受付にて直書きで授かることができます。初穂料は500円でした。

最乗寺までのアクセス

次の通りです。

基本情報

〒250-0127 神奈川県南足柄市大雄町1157
電話:0456-74-3121
FAX:0465-73-3146

最寄り駅

大雄山線 大雄山駅
小田急線 新松田駅

最乗寺 スナップ

ここからは、筆者参拝時の写真をご紹介します。

参道

大雄山最乗寺までの参道は「天狗の小径」と名付けられ、神奈川県の天然記念物に指定されている杉並木が立ち並びます。

車道側

杉並木には、樹齢450年以上から600年を超えるものが多く、1万株のあじさいも植えられていることから「大雄山あじさい参道」とも呼ばれます。

大雄山最乗寺の参道はほとんど1本道で、迷うことなく駐車場入口に辿り着くことができます。

道了尊 駐車場入り口

急勾配で、車1台の通過がやっとの激狭入口なので、気を付けて通行しましょう。

三門(山門)

平成22年、最乗寺を創建した了庵慧明禅師の没後600年を記念し、平成15年10月に完成したのが当三門です。

二重門

没後600年にあたるのが平成22年なのに、門の感性が平成15年。7年も急いでしまうせっかちさんがいるお寺なのかも知れません(怒られるかもしれない)

門前の木看板

扁額には「大雄山」とあります。

扁額

二重門と呼ばれるこの門は2階建て、高さ22m。

中には22体の仏像を祀っているそうですが、一般公開はされていない様子でした。

門までの参道

山門の向こう側にも、まだまだ道は続きます。

三門からの景色
石段と山道の連続

はじまりの座禅石

参道途中の橋を渡ったところに「座禅石」があります。

明徳年間(1390年)最乗寺を創建した了庵慧明禅師が曽我の竺土庵に閑居していた際、鷲に大事な袈裟を持ち去られます。

逃げた鷲を追う禅師は、大雄山の大松の梢にかかった自分の袈裟を発見し、この座禅石の上で落ちてくるまで待つ構えでしたが、座禅したした途端に袈裟は了庵慧明禅師の肩に落ちてきました。

この出来事を機に、了庵慧明禅師は当山に大雄山を開山したといわれており、この座禅石はいわば「はじまりの石」といえます。

座禅石のそばにたっている杉の根元あたりに、不思議なものがありました。

何かの祠かと思いましたが、何となく恐ろしくて近寄りませんでした。

参道のあちこちに張り出す杉の根

瑠璃門・碧落門

参道の右手に見えてくるのが瑠璃門です。

瑠璃門

瑠璃門の扉には、幅1.86mの一枚板の杉を使用し、杉本体の直径は2.5m。

参道から瑠璃門に至るまでの石段前に設置された石灯籠は苔むし、この時点で異質な空気を感じます。

瑠璃門

瑠璃門を過ぎると、二手に分かれます。

右は碧落門、左は衆寮へと続きますが、衆寮は一般公開されていません。

左:衆寮/右:碧落門
衆寮
碧落門

背面には、明神橋が架かっており、この先には明神ヶ岳ハイキングコースが続きます。

碧落門内、僧堂側へ続く廊下です。

回廊

尚宝殿・瑠璃門側です。

回廊

最乗寺には、歴史と趣を感じる建物がたくさんありますが、こちらで修行している人が歩く様子も見られ、廊下の照りなどからよく手入れされていることがわかります。

回廊

高下駄

最乗寺には天狗伝説があり、寺紋に羽団扇、敷地内に高下駄が設置されています。

碧落門前の階段下にあるのは、初代和合下駄。

和合下駄

足元の悪い参道において、大きな石が挟まらないようにと高下駄を履くのだそうです。

下駄は、両足そろって一対となることから、夫婦和合の信仰が生まれ、奉納者が後を絶ちませんでした。

令和6年(2024年)1月時点では、高下駄の奉納は停止しています。

御真殿

御真殿脇にも、奉納された数々の下駄が安置されています。

高下駄
羽団扇

最乗寺 境内

碧落門を抜けると、すぐ左手に光明軒があります。

光明軒

その奥に大香爐、時計台と続きます。

大香爐

こちらは総受付側です。

御朱印をいただくには、奥にある総受付が窓口です。

本堂/総受付

書院は、一般公開されていませんが、外からでも十分見応えのある外観を呈しています。

書院

書院前の玉垣には、十六弁の菊をあしらった天狗の羽団扇が刻まれています。

本堂側には、光明池の上に光明亭が建っています。

光明亭

以前は、こちらの池に亀や錦鯉を見られたのですが、参拝時には一面ネットが被せられていました。

尚宝殿(宝物殿)の入口です。

尚宝殿

この付近には、沢山の肩からの献額が掲げられており、小泉純一郎元首相の名前もありました。

仏像教室も開かれているそうで、月初には読経、仏像を手彫りするそうで、仏像彫刻界で著名な肩から直々の指導(※現在休講中)を受けられます。

この他にも、第2・第4日曜日には座禅会や写経、日帰り研修などが行われています。

毎秋、作品展・開眼供養も行われていますので、気になる方は、秋頃に公式サイトをご覧ください。

参籠で精進料理を味わえる

総受付では、ご祈祷、行事への参加申込み、授与品のほか、参籠(宿泊)申込みも受付けています。

総受付/白雲閣

参籠さんろうとは、神社や仏道へお詣りし、一定期間をそこに籠もって神仏に祈願することをいいます。

最乗寺の場合、原則一泊二日の2食(精進料理)で、精進潔斎という肉断ちにより身体を清めることを目的とした食事を行います。

宿泊希望者は、5名以上から受付可能で、宿泊希望の2週間前までに予約が必要です。お問い合わせはこちら

僧堂など

最乗寺の僧堂では、今もなお、修行僧たちが修行に励みます。

僧堂

入口の扉は開放され、観音様を拝観することができるものの、木札には「堂内、修行僧の撮影を禁止する」旨の注意書きが掲げられています。

僧堂の脇に見える建物は、鐘鼓楼(道了鐘)と呼ばれ、應永9年(1402年)洞呂尊者行脚の途次に遠州平尾八幡宮の寄進を受け、運んできた梵鐘だといわれています。

鐘鼓楼

最乗寺 本堂

最乗寺 本堂です。

本堂

本堂には、釈迦牟尼仏、脇仏の文殊菩薩 普賢菩薩の三尊仏が祀られており、御真殿とあわせ、築地本願寺を手がけた伊東忠太氏が設計しました。

伊藤忠太氏は他に、靖国神社の御神門・遊就館も手がけており、後者は登録文化財に指定されています。
彼の手がけた建造物の中には現存しないものも多いものの、明治大正期の建築界で活躍した人物でもあります。

金剛水堂・金剛壽院

大雄山(最乗寺)開山時、道了尊自ら井戸を掘り、土中深くから鉄院が出てきました。

これが大雄山の重宝「御金印」で、御金印を取り出したところから湧き出した水を「金剛水」といいます。

金剛水堂

御金印を押したお守りは厄除け・災害除け、冷泉の水には諸病平癒の御利益があるといわれています。

その向かいにある金剛壽院は、最乗寺の創建者である了庵慧明禅師の尊像をはじめ、歴代住持(住職)の霊牌を祀っています。

金剛壽院(開山堂)

現在の金剛壽院は、昭和36年(1961年)開創550年を記念して再建されたもので、総面積40坪弱あります。

金剛壽院へと続く石段の脇には、一擲石いってきいしがあります。

一擲石

最乗寺の建設中、了庵慧明禅師が弟子の道了尊を呼んだところ、道了尊は手に持っていたこお石を投げ捨てて駆けつけたといわれています。

藤沢市にある白旗神社にも、力自慢が持ち上げた石が祀られていました。昔の人は皆、剛力だったんですね…。

松平大和守直基の墓と鐘楼

石段を進みます。

参道を進むと、右手に石段、見上げると鐘楼堂が見えます。

鐘楼堂の柱、梁には、力強い彫刻が施され、鐘を鳴らすことを禁じる看板が立てられています。

鐘楼堂

鐘楼堂の奥には、松平大和守直基の墓があります。

松平大和守直基は、徳川家康の五男で、姫路に向かう途中に発症した病が原因で死去。その遺体を最乗寺に埋葬しました。

多宝塔

多宝塔は、文久3年(1863年)に創建され、多宝如来の逗子が祀られています。

多宝塔

最乗寺の中で最も古い建造物で、大正15年(1926年)、昭和3年(1928年)に起こった火災からも免れ、江戸時代の技法をそのまま残す貴重な建物でもあります。

多宝塔前には、手水舎が設けられています。

狛犬も控えています。

多宝塔 右の狛犬
多宝塔 左の狛犬

こちらには、鐘楼ではなく鰐口わにぐちが設置されています。

真下に立ってみると、かなり迫力があります。

水神様、洗心之滝

多宝塔の横に、滝と木造の建物が見えます。

参拝日はあいにくの曇天でしたが、時折晴れ間が覗き、木漏れ日が水面に反射して光る様子は美しかったです。

洗心之滝

小さな祠には、水神様が祀られています。

水神様

洗心之滝は明神ヶ岳の山麓から引いた湧き水で、水底まで透けて見えます。

圓通橋から水底を見ると、たくさんの参拝者が投げたお賽銭が見えますが、どうしてここにお賽銭を投げるのかはわかりませんでした…。

結界門

視線を左に移すと、結界門と御供橋が見えます。

神社は、境内と外部を鳥居で仕切りますが、お寺は山門を仕切りに用い、結界の役目を持たせています。

結界門前に架かる橋は、圓通橋といいます。中央部分の仕切られている部分は、御供橋といい、修行僧が道了尊へ御供する際に使うそうです。

御供は修行僧の手作りで、僧堂の後ろにある御供堂内で調理されます。

材料は、米と小豆、金剛水・権現水で蒸して霊櫃に入れたものを、御供式の中で献供します。

結界門

最乗寺の結界門は、大天狗(右)、小天狗(左)が護ります。

大天狗は、山伏の格好をしていて、山岳信仰における山神の天狗。

大天狗

小天狗は甲冑を身に纏い、剣のようなものを振りかざしています。

今回は、結界門ではなく、清龍不動尊側からあがります。

清流不動尊

洗心之滝に近づいていくと、粗い石段があります。

洗心の滝

目にするもの全てが苔むしており、長い歴史を感じずにはいられません。

水神社

滝を見上げると、お堂が見えます。これが不動堂です。

清龍不動尊

清龍不動尊には、天祐不動明王・愛染明王が祀られています。

清瀧不動尊

大山不動尊に次いで関東三十六不動の第2番札所でもあります。

堂内は無人でしたが撮影は遠慮し、そのまま石段を昇ります。

清瀧不動尊

御真殿

最乗寺の御真殿には、妙覚道了大薩を御本尊とし、両脇侍に大天狗・小天狗が祀られています。

御真殿

御真殿の右後ろには、お守札お受け所(寺務所)があります。

寺務所

こちらでお守り等を授かることができるようですが、御朱印を授かるには総合受付が窓口です。

手水桶

御真殿の隣には、奉納された高下駄があります。

高足下駄

碧落門前のn高下駄も驚きましたが、こちらにある高下駄のうち、最も大きなものは3.8トンあるそうです…!

更に隣には、十一面観世音菩薩が祀られています。

十一面観世音菩薩

十一面観世音菩薩の足下には、白い菩薩様がいらっしゃいましたが、詳細は不明でした。

最乗寺の開山者 了庵慧明禅師の弟子だった道了尊は、この十一面観世音菩薩の化身だと言われています。

天狗伝説の一説、「五大誓願文を唱え、火炎を背負い、右手には拄状(しゅじょう)左手に縄を持ち、両手両足に幸運の使いの蛇を従え天狗に化身し、白狐の背に立ち、天地鳴動して山中に身を隠された」という節を表した石像です。

道了尊 天狗化身像

了庵慧明禅師は死後、法衣を着て白狐にまたがる天狗の姿になり、向かい側の峰にそびえる大樹に天降った…との言い伝えにならい、こちらの像がつくられました。

天狗界(そんなものがあるのかどうか定かではないですが…)では、羽根のあるカラス天狗が羽根を落とすと、大天狗へと昇格するそうです。

石碑

三面殿

三面殿には、三面大黒天が祀られています。

最乗寺の創建に協力した箱根権現(清水の神様)、矢倉明神≒足柄大明神(矢倉沢の薪の燃料の神様)、飯澤のお米の神様の三柱が一体となり、七福神の大黒様となった様子を像にしたもの。

それぞれ、小槌、巻物、大きな袋を握っています。

三面殿前の狛犬は、右側は子をあやし、左の狛犬はじっと見守っている様子でした。

三面殿前には、かなりインパクトのある岩が設置されています。

この一部に竜頭があり、こちらから湧き出る水にて手を清めます。

また、少し隣にずれたところには観音菩薩様が立っています。

こちらにも柄杓が設置されているため、いずれかで手を清めるシステムなのだろうと思いつつ、竜頭からの湧き水にて手を清め、参拝しました。

最乗寺 奥之院(慈雲閣)

石碑等の更に奥へ進むと、石段上に冠木門が見えます。

冠木門

冠木門の先に見える石段は350段余り。鬱蒼とした老杉の中を進むと、御本地十一面観世音菩薩(当山守護道了大薩埵の御本地)が奉安されている奥の院に辿り着くことが出来ます。

…と分かってはいても、心細さを感じるのがこの石段です。

冠木門 右側の狛犬
冠木門 左側の狛犬

参拝時、私以外には誰もおらず、時折杉林の中から立つ音に「クマだったらどうしよう…」との思念が浮かんでは消えました。

石段の途中、詳細のわからない祠がありました。

祠の外に祀られた雪駄らしきものと、その造りから、おかしなものが祀られているわけではないとわかっていても、孤独感の中にいた筆者の目には不気味にうつりました。

更に進むと、少し平坦な道を経て、大天狗・小天狗が現れます。

天狗の先には216段。

最後の一踏ん張りを応援してくれているのか、それとも、引き返せと言いたいのか…。

下記の大天狗は、より強力な神通力を持つとされる山伏姿の「鼻高天狗像」です。

大天狗

大天狗の反対側に立っている小天狗は、別名 烏天狗と呼ばれています。

インドの神話の巨鳥が烏天狗として表されました。

烏のような嘴(くちばし)をもった顔、黒い羽毛に覆われた体を持ち、自在に飛翔することができます。

小天狗

結界門前の天狗と装いが異なりますが、最乗寺の天狗は高尾山と同じ飯縄系の天狗なんだそうです。

フィナーレが1番険しかったです。

ようやく辿り着いた奥之院ですが、恥ずかしながら息が上がり、すぐにはお詣りできません。

奥之院(慈雲閣)

ここまでの段数は、下から11、60、40、2、2、17、216の計348段。冠木門と浄財箱の6段を併せ、354段になります。

段数は別としても、この奥之院が大雄山のもっとも高い所に位置することに変わりはなく、最高に険しい道のりでした…。

奥之院(慈雲閣)

奥之院は、昭和43年(1969年)に今の建物を再建し、本尊として十一面観世音菩薩が祀られています。

奥之院の脇には、授かり所もありました。しかも、人がいました。

「こんな急な階段を毎日お仕えするために昇降しているのか…」と畏敬の念を抱いているところ、奥之院の裏手に往路が用意されていました。

恐らく、授け所に詰めている方の車であろう普通車も駐車されており、「そりゃそうだよな」という気持ちになったことをお伝えしておきます。

現場からは以上です。

総合受付の脇にあるポスト

神奈川県足柄上郡「最乗寺」まとめ

当ページでは、神奈川県南足柄市にある「大雄山最乗寺」をご紹介しました。

Check

神奈川県足柄上郡「酒田神社(さかたじんじゃ)」参拝レポ

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当ページでは、神奈川県足柄上郡開成町にある「酒田神社(さかたじんじゃ)」の由緒、酒田神社までのアクセス、参拝レポをご紹介します。

筆者プロフィール

榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
榊原行政書士事務所 代表行政書士
やぎ座のO型。趣味は写真を撮ること、神社をめぐること。

神奈川県足柄上郡「酒田神社」

かつて、明治政府発足にあたり、天皇親政・祭政一致となりました。

これに伴い、各村々の小社祀を統合し、盛大な祭祀を挙行するよう、明治6年(1873年)一村一社を命じられ完了。

しかし、明治22年(1874年)町村合併法によって酒田村が誕生し、各村に設置された鎮守は取り残される結果に。

これを問題視した政府は、社祀統合を図るために岡の・金井島・延沢・円通寺・中之名・宮台・牛島の鎮守七社を集め、明治42年(1909年)に酒田神社は創建されました。

御祭神
  • 伊弉諾命(いざなぎのみこと)
  • 吉備津彦命(きびつひこのみこと)
  • 大物主命(おおものぬしのみこと)
  • 誉田別命(ほむだわけのみこと)
  • 建御名方命(たけみなかたのみこと)
  • 事代主命(ことしろぬしのみこと)
  • 日本武尊(やまとたけるのみこと)
  • 大山祇命(おおやまつみのみこと)
  • 天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)
  • 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
  • 菅原道真(すがわらみちざね)
  • 酒田神社祭礼
  • 2月26日 祈年祭きねんさい
  • 7月15日 臨時祭(風祭)
  • 10月9日 例祭
  • 11月26日 新嘗祭にいなめさい
  • 12月26日 大祓
  • 酒田神社までのアクセス

    基本情報

    〒258-0026 神奈川県足柄上郡開成町延沢465

    最寄り駅

    小田急線開成駅から徒歩約21分

    伊豆箱根鉄道大雄山線 和田河原町駅から徒歩約23分

    伊豆箱根鉄道大雄山線 冨士フィルム前駅から徒歩約25分

    酒田神社 スナップ

    ここからは酒田神社の様子を写真でお届けします。

    鳥居前
    社号碑
    酒田神社 鳥居と拝殿

    鳥居をくぐってすぐ右手に手水桶があります。

    水道の蛇口をひねって手を清めた後、お詣りへ。

    右の狛犬
    左の狛犬
    拝殿
    蜘蛛の巣がすごいけど、素敵な彫刻でした
    神額
    拝殿左手の彫刻
    拝殿右側の彫刻

    拝殿の左側に石碑が2台ありましたが、文字が読み取れませんでした。

    石碑
    文字が薄れて読めない…

    神奈川県神社庁によれば、酒田神社の他、境内に諏訪社もあるはずでしたが、それらしいお社は見つけられず。

    鳥居前には立派な慰霊碑が設けられ、活けて間もない花が供えられていました。

    慰霊塔(酒田地区)

    こちらの慰霊碑は昭和30年に建てられ、沖縄をはじめ、国内外諸地域にて戦没した酒田村出身者を祀るものだそうです。

    署名者は靖國神社宮司 筑波藤麿氏。佐戦没者数85社となっていました。

    神奈川県足柄上郡「酒田神社」まとめ

    当ページでは、神奈川県足柄上郡にある「酒田神社」をご紹介しました。

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    ジャマイカ「ブルーマウンテン№1」を飲んでみた【珈琲豆】

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    当ページでは、ゲシャビレッジ農園ゲイシャ種に続き、コーヒー豆の王様と称される「ブルーマウンテン№1」の特徴、実際に飲んだ感想をご紹介します。

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    筆者プロフィール

    榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
    榊原行政書士事務所 代表行政書士
    やぎ座のO型。趣味は写真を撮ること、神社をめぐること。

    ジャマイカ ブルーマウンテン№1

    ブルーマウンテンは、ジャマイカ(中南米)の首都キングストンの北東部にあります。

    私達がよく知るブルーマウンテンは、ジャマイカ政府が栽培を認める「ブルーマウンテンエリア」のみで栽培・収穫されています。

    ブルーマウンテンは、標高が高く、カリブの豊かな太陽光と、濃霧や霧による湿度により、昼夜で大きな温度差を生む気候です。

    ここで生まれる温度差こそが、美味しいコーヒー豆栽培には理想的で、香り、味、コクが絶妙な黄金比の豆に仕上がります。

    ジャマイカ国内 別の地域でもコーヒー豆は栽培されていますが、これらはブルーマウンテンとは異なります。
    「ブルーマウンテン」を名乗れる豆は、本当に一握りなんですね。

    急斜面かつ手作業

    ブルーマウンテンは急斜面ながら、これに負けずに農園を営む人々がいます。

    人が移動するには不便ですが、植物にとっては、水はけはよく、全体的に満遍ない日照が期待できる理想の地。

    地盤の関係で機械を入れることが厳しいため、栽培・収穫は手作業で行われるのが一般的で、完熟した真っ赤な実だけを1つ1つ手摘みしています。

    その結果、稀少性が高く、高額取引されることになりますが、クセの少ない美味しい豆になるのです。

    日本人好みのブルーマウンテン

    ブルーマウンテンは、世界的にも評価の高い豆ですが、生産量の8割が日本に輸出されています。

    欧米では、ミルクやシロップなどを加える飲み方が主流ですが、砂糖やミルクを加えず、素材そのままの繊細な味を楽しみたい人が多い日本では、より高級なコーヒー豆を望むのでしょう。

    ブルーマウンテン№1

    ブルーマウンテンには、№1-№3まで等級があります。

    最も高い等級は№1で、豆の大きさ、欠点豆の割合が低く、香り高く繊細な味が特徴です。

    通常のコーヒー豆は、麻袋にて輸出されるいっぽう、ブルーマウンテン№1は品質保持のため木樽で輸出されるのも特徴の1つです。

    ブルーマウンテン№1を飲んでみた

    さっそく、ブルーマウンテン№1を飲んでみました。

    今回もミディアムロースト、中挽きでいただきます。

    一言で例えるなら、「これぞコーヒー」という香り・味。

    開封時からナッツのような香りがしていましたが、淹れてみると若干甘みを感じる香りが広がりました。

    筆者は専らブラックですが、マカダミアナッツのようなまろやかさと程よい苦み、クセが1ミリもない豆だと思います。

    コーヒーは、淹れ方、淹れる人のクセ1つでも味が変わるといいますが、何杯飲んでも褪せない感動をくれる豆です。

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    ジャマイカ「ブルーマウンテン№1」まとめ

    当ページでは、ジャマイカ産コーヒー豆「ブルーマウンテン№1」をご紹介しました。

    パン屋さんで運試し お楽しみ袋を買ってみた【2024】

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    筆者プロフィール

    榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
    榊原行政書士事務所 代表行政書士
    やぎ座のO型。趣味は写真を撮ること、神社をめぐること。

    お楽しみ袋

    早速ですが、今日から営業をスタートしたスーパーに立ち寄った際、テナントに入っているパン屋さんを覗きました。

    バターの香りに包まれた店舗スペースには、たくさんのパンが並んでいましたが、ひときわ目立つものがありました。それが本題のお楽しみ袋です。

    福袋は「安物買いの銭失い」だと考え、積極的に手を出すコンテンツではありませんが、上からちらりと見えたクロワッサンとコッペパンが魅力的だったのでつい。

    お楽しみ袋の中身

    帰宅後、さっそく開封しました。

    お楽しみ袋 ネタバレ

    日頃から店頭に並んでいる商品ばかりなので、それぞれに売価が表示されており、全体合計額は、福袋単体の価格を上回っていることがわかります。

    実は嬉しくなかったサーターアンダギーだけど

    今回の中身で、最も嬉しくなかったサーターアンダギー

    わざわざ購入しようと考える食べ物ではなく、時々買っても、口腔内の水分をすべて奪われるだけ。

    しかし、実際に食べて、その印象は大きく変わりました。

    外側はサックサク、中はしっとり。こんなに歯ごたえが良い食べ物だったっけ…?

    次回立ち寄った際は、サーターアンダギーのみを購入したいくらい気に入った筆者なのでした。

    いつもは買わない商品に出会える新鮮味と、今回のような発見が福袋の醍醐味ですよね。

    パン屋さんで運試し お楽しみ袋【2024】まとめ

    当ページでは、行きつけのパン屋さんのお楽しみ袋をご紹介しました。