神奈川県秦野市「渋沢神社(しぶさわじんじゃ)」参拝レポ

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当ページでは、神奈川県秦野市「渋沢神社(しぶさわじんじゃ)」の歴史、アクセス、参拝時の様子をご紹介します。

筆者プロフィール

榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
榊原行政書士事務所 代表行政書士
やぎ座のO型。趣味は写真を撮ること、神社をめぐること。

渋沢神社(しぶさわじんじゃ)

渋沢神社は、往時若宮八幡宮と称し、村の総鎮守でした。

建保6年(1218年)喜叟寺きそうじの開基霊夢により、鶴岡の若宮を歓請しました。

また、千村に当社を産土神とするところがあり、天明の頃、御嶽社より須佐之男命を勧請して相殿としました。

昭和45年(1970年)鳥居を新築し、神殿、神楽殿等を大改修して今に至ります。

渋沢神社 御祭神
  • 須佐之男命(すさのおのみこと)
  • 伊邪奈美命(いざなみのみこと)
  • 大雀命(おおささぎのみこと)
  • 渋沢神社 祭礼
  • 1月1日 元旦際
  • 2月17日 祈年祭
  • 2月節分 節分祭
  • 4月15日 例大祭
  • 11月15日 七五三祭
  • 11月23日 新嘗祭
  • 12月30日 年越大祓
  • 渋沢神社までのアクセス

    次の通りです。

    基本情報

    住所:〒259-1322 神奈川県秦野市渋沢2179
    電話:0467-81-1122

    最寄り駅

    小田急線渋沢駅より徒歩約20分

    渋沢神社スナップ

    ここからは、筆者参拝時の様子を写真でお伝えします。

    ピカピカの鳥居

    渋沢神社の鳥居は朱色で、光沢感があります。

    額束は旧字で「澁澤神社」とありますが、ネット上では「渋沢神社」の表記となっています。

    足下には、小さな桟橋が架かっています。

    上から見ると、喜叟寺のお墓と鳥居が並ぶちょっと不思議な光景です。

    境内の様子

    階段を昇ると、石灯籠が2つ。

    左側に蛇口が見えます。

    ただ、これは手水桶ではなく、こちらのようです。

    残念ながら、蛇口のハンドル部分がなく、手を清めることはできませんでした。

    拝殿です。

    一段あがったところにあり、脇には狛犬が座っています。

    右側の子は白目を剥いているようで、ちょっと強面。でも、足下には鞠という可愛い一面も。

    つがいの狛犬は、子どもをあやしているようです。

    渋沢神社には、入り口が3箇所在ります。

    1つは、筆者があがってきた石段。もう1つは後述するもの。

    3つめは、中学校前の通学路です。

    もう何年も毎朝、毎夕、こちらを通る子ども達を見守ってきたのだろうと尊い気持ちになりました。

    参道がゴッホ

    もう1つの参道も、階段です。

    頭上の鮮やかな木々立ちが落とす葉が、足下まで彩っていました。

    こちらの階段を降りていきます。

    足下がびっくりするほど可愛いんですよ。

    この葉は、どこから落ちてきたのだろうと見上げると、まるでゴッホの世界でした。

    しばらく降りたところで振り返った様子もまた、趣を感じます。

    すべての階段を降りると拓けた場所に出ました。

    どこを見ても紅葉が楽しい時期ですが、タイミングが良かったのか、斜めからの陽光で印影がついたことで躍動感ある光景でした。

    足下には、謎の像が数体ありました。

    ちょうど喜叟寺の裏側に位置するので、もしかすると喜叟寺で供養しているものかもしれません。

    こちら側に鳥居はないものの、紙垂がかけられたロープにて境界線が引かれています。

    神奈川県秦野市「渋沢神社(しぶさわじんじゃ)」まとめ

    当ページでは、神奈川県秦野市にある「渋沢神社」をご紹介しました。

    神奈川県秦野市「嶽神社(たけじんじゃ)」参拝レポ

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    当ページでは、神奈川県秦野市西大竹にある「嶽神社(たけじんじゃ)」をご紹介します。

    筆者プロフィール

    榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
    榊原行政書士事務所 代表行政書士
    やぎ座のO型。趣味は写真を撮ること、神社をめぐること。

    嶽神社(たけじんじゃ)

    大竹村(現大竹)は、鶴疇山(つるとしやま)八幡宮の氏子でしたが、明治8年(1875年)嶽神社 単独の氏子となりました。

    明治22年(1889年)に彫刻を施した社殿の完成後、昭和53年(1978年)に宮大工である関野実氏により大改修が行われ、現在の社殿が完成しました。

    嶽神社 御祭神
    日本武之命(やまとたけるのみこと)

    嶽神社 祭礼
  • 1月1日 歳旦祭
  • 2月27日 祈年祭
  • 4月11日 例大祭
  • 5月5日 端午祭
  • 6月30日 大祓
  • 8月31日 風鎮際
  • 11月23日 新嘗祭
  • 12月31日 大祓
  • 嶽神社 境内社

    • 御霊社
    • 八坂社
    八坂社
    社号はありませんでした

    嶽神社へのアクセス

    次の通りです。

    基本情報

    住所:〒257-0012 神奈川県秦野市西大竹281-1

    最寄り駅

    小田急線秦野駅より徒歩約25分

    嶽神社スナップ

    ここからは、参拝時に撮影した写真を紹介します。

    嶽神社の鳥居は昭和9年(1934年)

    狛犬は、昭和36年(1961年)

    手水舎は昭和60年に奉納されたものです。

    八坂神社のそばにも手水鉢が設置されています。

    南はだの村七福神と鶴亀めぐりの対象となっていて、鶴とボックスが設置されていました。

    南はだの村七福神と鶴亀めぐり

    神奈川県秦野市西大竹「嶽神社(たけじんじゃ)」まとめ

    当ページでは、神奈川県秦野市「嶽神社(たけじんじゃ)」をご紹介しました。

    神奈川県秦野市「尾尻八幡神社(おじりはちまんじんじゃ)」参拝レポ

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    当ページでは、神奈川県秦野市にある「尾尻八幡神社(おじりはちまんじんじゃ)」の見所、アクセス、参拝時の様子をご紹介します。

    筆者プロフィール

    榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
    榊原行政書士事務所 代表行政書士
    やぎ座のO型。趣味は写真を撮ること、神社を巡ること。

    尾尻八幡神社(おじりはちまんじんじゃ)

    尾尻八幡神社の創建時期は不明とされていますが、往時八幡宮と称え、延久年間(1070年頃)には現在の鶴疇山(つるとしやま)に祀られていて、尾尻、大竹、砂口三村の鎮守でした。

    ご神体は馬乗の像で、傍らには建保3年(1215年)9月16日と日銘があります。

    鎌倉将軍の尊崇厚く、相模三鶴八幡の1つとされ、政子安産祈願所とされたそうです。

    相模三鶴八幡

    尾尻八幡神社 御祭神
    誉田別之命(ほむだわけのみこと)

    尾尻八幡神社 祭礼
    • 1月1日 歳旦祭
    • 2月17日 祈年祭
    • 4月21日 例大祭
    • 5月5日 端午祭
    • 6月30日 大祓
    • 8月31日 風鎮際
    • 11月23日 新嘗祭
    • 12月31日 大祓

    尾尻八幡神社 境内社

    尾尻八幡神社には、次の境内社があります。

    • 津島神社
    • 山王社
    • 古峯社

    尾尻八幡神社までのアクセス

    次の通りです。

    基本情報

    住所:〒257-0011 神奈川県秦野市尾尻420
    電話:0463-81-1122

    最寄り駅

    小田急線 秦野駅より徒歩約20分

    尾尻八幡神社 参拝レポ

    ここからは、筆者参拝時の様子をお伝えします。

    良さそうだけど

    尾尻八幡神社の一之鳥居は、はだの桜道からちらり。

    尾尻八幡神社 一之鳥居

    しかし、なかなか参拝する機会がないまま、3年近くが経過していました。

    きっかけは

    そんな尾尻八幡神社にお詣りしようと思ったきっかけは、筆者の所属する行政書士会が開催する「はだの七福神めぐり」。

    毎年お正月に希望者を募り、7つの神社寺院をめぐるものです。

    イベント自体に参加はしませんが、七福神が気になったことが参拝のきっかけとなりました。

    参道がむちゃくちゃいい

    尾尻八幡神社の参道は、林道。

    右側にカーテン専門店、左側にマクドナルドという立地なのですが、ここだけは異世界です。

    鳥居手前からでもわかる境界感

    道は舗装されているため、第一印象より歩きやすかったです。

    途中から階段になります。

    小さな公園とカラス

    参道の途中に分かれ道があります。

    正面には拝殿、左手には公園がありました。

    お詣りの途中、カラスの鳴き声が目立ちましたが、公園にも1羽たたずんでいました。

    寒さのせいか、首をすぼめて丸くなっているようでした。

    尾尻八幡神社 拝殿

    参道に戻り、拝殿へ。

    こちらが尾尻八幡神社の拝殿です。

    大きな注連縄と、木彫りの彫刻にあたたかみを感じる造りです。

    手水舎を探したところ、右手奥にありました。

    自分で蛇口を捻るタイプで、問題なく手を清めることができたので参拝です。

    境内社と石碑

    尾尻八幡神社には、境内社が3社あります。

    そのうち1社は、拝殿の右手にありました。

    社号はわかりませんでした…

    お社の脇に立派な銀杏が立っていて、参拝時も色づいた葉がハラハラ舞っていました。

    尾尻八幡神社の境内でも、特に目立つ1本です。

    この他、日露戦争に行かれた方の忠魂碑らしき石碑(記念碑と記載があるように見えるのですが、詳細不明)もありました。

    石碑の後ろには、神輿櫓のような建物も。

    博識な人なら、詳細が記載されていなくても、建物の形状や配置から何が収容され、どんな目的で設置されているのか想像できるのだろうと思います。筆者はまだまだこれからですね…。

    はだの七福神めぐり

    もうひとつ。尾尻八幡神社の境内には、石がありました。

    恐らく、南はだの村七福神と鶴亀めぐりに関するものだと思われます。

    その証拠に、「親」とありました。

    かたわらのボックス内に、スタンプが収容されているようです。

    記載の通りダイヤルを回したのですが、筆者は開けることができませんでした。

    南はだの村七福神と鶴亀めぐり

    神奈川県秦野市「尾尻八幡神社(おじりはちまんじんじゃ)」まとめ

    当ページでは、神奈川県秦野市「尾尻八幡神社」をご紹介しました。

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    神奈川県ナンバーワン「鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)」参拝レポ【御朱印】

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    筆者プロフィール

    榊原 沙奈さかきばら さな
    榊原行政書士事務所 代表行政書士(lit.link)
    やぎ座のO型。趣味は写真を撮ること、神社をめぐること。

    鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)

    鶴岡八幡宮は、康平6年(1063年)源頼義が源氏の守護神として由比郷鶴岡(現 材木座)に、京都の石清水八幡宮護国寺を歓請したのがはじまりでした。

    その後、源頼朝が現在の土地へ遷し、鶴岡若宮と称したのが今の鶴岡八幡宮です。

    鎌倉の顔でもある鶴岡八幡宮は、「鎌倉八幡宮」と呼ばれることもあります。

    鶴岡八幡宮は、武士の都・鎌倉文化の基点にもなりました。

    由比ヶ浜海岸から鶴岡八幡宮まで、約2kmの直線を結ぶ参道や若宮大路を中心に発展してきたことから、今なお門前町として鎌倉観光の拠点になっています。

    鶴岡八幡宮 一之鳥居

    鶴岡八幡宮 御祭神
    • 応神天皇(第15代天王)
    • 比売神(ひめがみ)
    • 神功皇后(第14代仲哀天王の妃であり、応神天皇の母)

    摂末社

    鶴岡八幡宮の摂末社は次の通りです。

    • 旗上弁天社
    • 白旗神社…源頼朝、源実朝
    • 丸山稲荷社
    • 若宮(下宮)…仁徳天皇など
    • 祖霊社
    • 今宮…後鳥羽天皇、土御門天皇、順徳天皇
    • 由比若宮(元八幡)

    鶴岡八幡宮 御朱印

    鶴岡八幡宮の御朱印は、大石段(本宮)下、右手の「ご祈祷受付所」にて授かることができます。

    初穂料は500円、直書きにていただきました。

    鶴岡八幡宮までのアクセス

    次の通りです。

    基本情報

    住所:〒248-8588 神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1-31
    電話:0467-22-0315

    最寄り駅

    JR鎌倉駅東口から徒歩約10分
    江ノ電鎌倉駅から徒歩約10分

    鶴岡八幡宮 参拝レポ

    ここからは筆者 参拝時の様子をお伝えします。

    三之鳥居から

    今回は、北鎌倉方面から来たため、スタートが三之鳥居でした。

    目の前はスクランブル交差点になっており、背面には参道「若宮大路」が広がります。

    右手に源氏池、左手に平家池がありますが、まずは本宮を目指します。

    源氏家にかかる桟橋

    平家池にかかる桟橋
    平家側には庭園

    京都を彷彿とされる通り

    参道を真っ直ぐ歩くと、交差する1本の通りがあります。

    白旗神社 社殿側
    北鎌倉に向かう通り側

    あまりに爽やかな横断っぷりに、京都の小路を思い浮かべながら更に進みます。

    手水舎

    鶴岡八幡宮の手水舎は、朱色のお社内に佇んでいました。

    手を清める人が次々訪れ、いつまで待っても無人の様子は撮影出来ません。

    それほど、鶴岡八幡宮は有名かつ人気の神社であることがわかります。

    向かい側には社務所がありますが、この日は空いていませんでした。

    舞殿(下拝殿)

    本宮の直線上に、舞殿があります。

    静御前が義経を慕って舞った若宮回廊跡に位置し、神事・結婚式等をこちらで行うようです。

    若宮(下宮)

    舞殿ななめ後ろに位置する若宮は、本宮とともに、国の重要文化財に指定されています。

    仁徳天皇、履中天皇、仲姫命、磐乃媛命を祀っているお社でもありますが、テント等で全体は見られませんでした。

    自祓い所

    舞殿左側に、茅の輪が設置されていました。

    自分でお祓いをするための人形が備えられており、初穂料は100円。

    多くの人が茅の輪をくぐっていました。

    鶴岡八幡宮の狛犬は訴求力が違う

    大石段の下に、狛犬がいました。

    色々な神社の狛犬を見てきたけど、初めて見るデザイン(という形容が正しいかどうか定かではないのですが)です。

    犬くらいの全身に対し、人面のようにも見えます。

    何か言いたげな表情が印象深い狛犬たちでした。

    本宮(上宮)

    石段を登り切ると、本宮楼門です。扁額の「八幡宮」の「八」は、鳥が向かい合っています。

    楼門に付された龍と虎の彫刻が、静岡浅間神社の楼門を想起させます。

    この先の本殿、武内社、宝物殿は全面撮影禁止だったため写真はありませんが、異国に迷い込んだような空気が漂っていました。

    親銀杏(大銀杏)と子銀杏

    大石段の下に、2つの銀杏があります。

    親銀杏の樹齢は1000年を超えるとされていましたが、平成22年(2010年)に強風により倒伏。

    その後、根元からひこばえが確認され、現在は順調に成長しているようです。

    旗上弁天社

    源氏池に浮かぶ島に旗上弁天社があります。

    治承4年(1180年)伊豆国における石橋山の戦いに敗れた源頼朝は房総へ。

    その後、鎌倉に移ると直ちに鶴岡八幡宮を創建し、平家討伐の本拠としました。

    このとき、夫人である北条政子によって源氏池に三島、平家池に四島を造り、平家滅亡を願ったとされています。

    3は「産」、4は「死」を意味するから…とされていますが、池を造るほど平家滅亡を願っていたのかと思うと、何とも言えない気持ちです。

    源氏池の三島には辨財天社を祀ったそうですが、これが旗上弁天社とはじまりとされています。

    社殿前 藤棚

    旗上弁天社 御朱印

    旗が見弁天社でも御朱印をいただくことができます。

    授与所

    直書きにて、初穂料は500円でした。

    風が強くおさえ紙が…
    旗が見弁天社 御朱印

    ふじさわ七福神 集印用色紙やオリジナルの御朱印帳も授かることができます。

    藤沢七福神用の色紙
    鶴岡八幡宮には鳩がたくさんいた

    丸山稲荷社

    本宮を左に進むと、稲荷社があります。

    おみくじ等 授与所を抜けていった先です。

    目印は、朱色の鳥居です。

    丸山稲荷社の御祭神は、倉稲魂神。建久2年(1191年)本殿が創られる前から、この地に祀られていた地主社です。

    社殿の造りは一間流見世棚造というもので、室町期の神社建築の遺例として高く評価され、境内に現存する建造物のうち最古といわれています。

    これらを踏まえ、昭和42年(1967年)には、国の重要文化財に指定されました。

    毎年11月8日に行われる火焚祭では、鎌倉神楽が奉納され、大勢の参拝客で賑わうそうです。

    その他のスナップ

    参拝時の写真をいくつかご紹介します。

    本宮を背に見た若宮大路(段葛)
    二之鳥居
    三之鳥居
    丸山稲荷社側の鳥居
    そばの手水舎
    丸山稲荷までの階段
    祖霊社裏手

    神奈川県鎌倉市「鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)」まとめ

    当ページでは、神奈川県ナンバーワン人気の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)をご紹介しました。

    とてもじゃないけど、1度の参拝で全てはまわりきれなかったので、次回にご期待ください…!

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